武漢肺炎の禍も久しくなりぬ。然れども人の心は死なざらむに切めてもの福と言ふ可き乎、何時から乎、常の物になりたる防毒面をば發展させ、良質なる吸氣に因り人の程を超えたる力以て勝敗を競ふ遊戲が島根の縣民の中に生まれけり。其の名も出雲蹴鞠となむ言ふ。
千菜は心の内には據り巧く成つて何時れ乎皆に喜ばれたしと、戰ひに絡みて行きたしとは思へど、罷めたしとは思はざり。
今日の學區内對抗戰に於いては千菜は八面六臂の大活躍を嘗せたり。走らば待ち焦がれたる合圖を受けた軍用犬の如く風と成り、競り合はば野山羊の如く跳ね竝み居る長坊を股の下に見、球蹴ば空を突破り。
「何で斯樣な事に爲つて仕舞うたんやらう……」
「何で乎て、彼方最う遊ばへんがな。然うやらう?」
母の答へに千菜は當惑せり。刹那に、物物は常に使ひ續けねば直ちに捨てらるる無情の有樣が腦裡を過りたり。確かに此の玩具は千菜にしても最う押入より取出だす思ひ構への有らざりし物乍ら、其處に在ると、何時も在ると得思へばこそ安んじて愛想も無く暮らしつつ在りたり。其今、捨つと言はるれば己の一片を母の手に因りて捨てらるる心地ぞしたる。
體中汗水漬くとなりて服の白地は盡く透け、鼻と顎とから瀝る雫が調子良く點點と地を濡らして之く。鼻水迄垂れて來つ。