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覺書附紙片斷章(おぼえかきつけしへんだんしゃう )

「仕舞うた!」

寺の裏山に行ひ(ほとけのみちあゆみ)に入りし八坂祇園は其の歸りに手に持ちたる斧をば泉に落としたり。泉は淵にてすでに底深く瞬く閒に斧の姿失せぬ

(直ぐに拾はねば)と思ひ僧衣を脱ぐからに、泉より女神出で來て祇園に告ぐ

「汝の落とせしは此の金の斧乎、此の銀の斧乎」

(態々斧を備へて(うち )を待つ手の込んだ惡戲(いたづら )はあるまい。( ほとけのもとのかみ)にせよ狐狸せよ偉い方やらう喃)

然う思へば祇園は女神に顔を向けて(こためうへにこたふ)へたり

「否、拙僧が落としたのは何と言ふ事の無い古い斧でございます」

「汝の正直あはれ也。襃美に此の兩の斧を遣はす」

「……」

祇園は女神より差し遣はせられたる輝ける金銀の斧を少しく見、頂かずに軈て問ひたり

「あの、拙僧が落として仕舞うた斧はございません乎」

「言はずもがな」と女神は祇園の落としたる斧をも取り出だす。祇園は其の落としたる斧を受け取り深々と頭を下げつ

(かたじけな )うございます。拙僧には此れを拾うて頂いただけでも勿體無うございます」

祇園は其の落としたる斧を受け取り深々と頭を下げて歸らむとす

「其の斧の手に戻りたるが然許り嬉しき事乎」

「……父の形見でございますから。ほなこれにて」とて、祇園は泉より去りつ

「みな持て行かば良い物を。八坂祇園氣の(みじか )や」

「あれ、八坂先輩違ふ乎」

都流伎らは道路から山に入り向ふ脇道より八坂祇園が出で來たるを見つ

「先輩」と都流伎等に呼びかけられたる八坂は聲の方に首を向けたり


其れを捨つる抔とんでもなうございます

近年流行のテフロン( やにうるしのうち)(ばり )炒鍋(いりなべ )、數年使はれたれば所々剝げて效き目も無くなりたるを家の者棄てむと欲す。物を重寶修理する歐洲に對する米の廢棄改良新造の例を引かずもがな、當節一理あるべし。然れども予は物は故無く捨つべからずとて育てられたれば心中思ふ所在りて夜半に紙鑢(かみやすり )以て臺所に向かふ。「最早元の金鍋に爲む」とてテフロンを(こげ )(すす )共々削る事半刻、底一面不銹鋼の肌表れて銀と爲り。(つい )でに把手(とつて )のがたをも直して進ぜう」とて其れを留めたる捻子(ねぢ )穴を見たり。見慣れぬ螺子(ねぢ )穴、十文字にも六角にも在らざり。惟ふに六芒形を本として其の備へに一文字を彫加へられたる物ならむ。六芒形に合ふ(まはし )は少し前は街角の工具店にても取り寄せねば手に入らねども近頃は必ずしもめづらしく無し。但し斯る大きさの物は予は持ち合はさざれば一文字のを用ゐらむ。或は歐洲にては此の六芒形は有り觸れたる物ならむ歟。扠措き(はづ )(をは )りて此れを見るに一回り錆びたれば新品に換へむと欲す。今夜はもう夜も更けたれば明日捻子買來たらむ

日曜大工屋に

翌朝、開店時刻を狙ひ家を出でむとするもえんばんと雨が降れば(かち )にて行く。螺子の太さ長さ山竝共に同じき物を早々と見附く。更に「態々來たれば何乎家にて切らしたる物をば併せて買はむ」と思ふも此れと言ふ物無ければ歸る。先づ元の螺子を廻外すのに(えら )く固かりたれば錆落としの油をば差す。而して新品の捻子を取り附けむと爲れども(あら )(おもひ )(ほか )固し。得外して得著ざる事あるまじと思ふも、先に十文字の捻子穴ぞ竝めむと殆み手を止めて他の手を探す。而して一つ思ひ立ちたるに電動螺子廻にて一氣に爲て仕舞はむ。手廻にては先程から把手が我が手の動きを妨げれば力強う廻し難かり。速やかに押入より取出だして來たれども本體は在れども其の先子(さきこ )が見當たらず。何故、如何にも安物なれども備へ附けの先子が必ず一つは在りけめ。若しや落としたる乎と思へども何處にも無かり。……茫然暫時の後決心して再たび外出す

などけふこそは雨のふりしく

今歸りたるぞ。嗚呼半刻前に來たる許りなれば精算にて先度買ひ忘れたると思はるべきは恥かし。扠措き、買うて來たるは先子のみならず先を讀みて新た起るべき事態に備へて二種の捻子をも也。而して電動廻に先子を著けていざ廻す……まは、廻さむと動力を入るれども手應へ固うして廻らず。然もありなむ、然れども其は想定の範圍内てふ事。先づ新たに買ひて在る六角形頭の捻子を自在(ねぢり )にて力強う廻し、鍋側の穴の通りを良くす、以て元の捻子を通す。全き事哉。いざ、力を入れ過ぎざるべくゆるりと(ねぢり )を廻して行く。流石は捻、廻とは馬力が違ふ。然れど後少し廻せば一旦外さむとてふ所にて俄に手應へ固うなりて予の手の勢ひ餘り捻子の頭( )げる。……此れもまた實のレンチなりけり。嗚呼予(あやま )てり。今度は螺子にて穴塞がりたれば事の運びは始めよりも退りたると言ふべし。持ち合はせたる(はさみ )にては得廻さず。何乎手は無き者乎と(かんが )ふるに、一つ、金鋸にて頭の取れたる捻子に溝を掘りて一文字廻にて外さむと。其して此れを行ふに(いや )固し、切り作りたる溝は廻さむとする力に負けて裂け歪む。萬策盡きたる乎。何乎手は無き者乎と調べるに螺子に更に穴を穿ち、其の穴に嵌めて捻子を廻し取る抽拔(ひきぬき )なるもの在るを知る。知る。知る。……三度外出す

心はさはやか

今歸りたるぞ。流石は日曜大工屋。聞きたる事も無き物も賣られてあり。速やかに電動廻の先子として著けて捻子に穴を掘る。序でもう一つの先子に著け換へて逆さに廻さば。乃ち先子の齒折らる。予茫然と成り。「何やら疲れたり」と思へば此れにて萬事休す。

諸君も御苦勞

「さて、諸諸(もろもろ )元に直さむ、鍋以外」と仕舞ひつつあるところ

先子ありたり

炒鍋修理記 完

此の逆恨み晴さで措くべき乎

閒を置けば氣も體に滿ち足り。さて此の予をして惱ましむる小賢しき炒鍋(いりなべ )め、此儘捨つべからば其の前に好きに爲て遣るべし。先づ此の怪體なる無用の(いではり)を捥ぎ取り、其處に穿(うがち )の先子にて捻子の太さに合はせたる穴を掘る。而して四度最早馴染の店に赴き長めの捻子を買ひて戾り、二重の雌捻子とを以て把手を著く。吉。直りたると言ふべし


其して誰も愚者を嗤はず

或人は言ふ「「孫子の兵法書」の何處にじつくり計畫を立てて進めるよりもさつさと強行した方が好えなんて書いて在んねん阿呆。孫子は必ず至る法則を述べてやはんのに何方が好え乎なんぞ其の時次第で如何とでも言へる者を書く訣有らへんがな。本眞にもう此の明き盲が」と。其の人は窘められずには置かれなんだ

或人は言ふ「現在の學術界を見れば判ります樣に幾等文章を發達させた所で論語讀みの論語知らずと申しませう乎、萬卷の書を憶えたる文字の讀める馬鹿を生み出す許りにございます。手閒は懸かりますれども此れからの資料は映像を以て基準とするが宜しからう。文字はやはり知る知らずを以て人々を分斷する惡しき具に過ぎませなんだのでございませう」

或人は言ふ「現在の學術界を見れば判ります樣に幾等映像を發達させた所で「萬卷の書」を憶えたる視聽覺の發達せる馬鹿を生み出す許りにございます。此れからの資料は荒療治にはございますれども腦に信號を直に送るを以て基準とするが宜しからう。此程便利な世の中に舊來の五感に頼つた情報の遠隔入力は能不能を以て人々を分斷する惡しき具と言へませう」

或人は言ふ「現在の學術界を見れば判ります樣に幾等腦に情報を送つた所で腦が正しく受け取らぬのであれば電氣の無駄遣ひにございます。少々手荒な方法ではありますが脳の構造を豫め送らう情報の形式に合はせて改造して置くが宜しからうと存じます。國民閒の生まれた儘の體の違ひと言ふ、大袈裟に言へば人類の原初の分斷を、口幅つたい事でありますが人閒が數千年懸けて磨き上げた技術で解銷して仕舞はうと言ふのであります。我が國が爲ずとも役に立つ以上何處乎が始めます。能率の良さにて後れを取らば國が亡びまするぞ」


平成廿四年十月卅一日

僅かに鐘の音聞こえて眼開かざるもおどろく。近隣の學校の鐘也乎。學校の鐘鳴る時とは朝も遲からむ乎と思ひて時計を見たるに、其の時は我が出發の時刻也。……刹那の發動、過の夢見……懷中蓄音機を胸元に俺は飛び出した……自轉車を漕ぎながら手を離して上著を結ぶ……冗談ぢやねエ……曾て無い程足の廻轉數が上がっていく……私ト云フ音響キソノ先ニ……何があるつてんだ?……坂道に差掛かる……腿が重い……此れが起き拔けだつてのか……俺はこんなものだつてのか……ステアリングが冷え切つてる……氣持はスデにアツくなつちまつてんのに……それでも俺の裡にある何かが體を衝き動かしてゐる……まだ終つてねエ……間に合ふ!…… ……ゴールに著くと俺は時計を見た……安堵……大きく吸い込んだ空氣が肺から體中に染み渡つていく……心地好い疲れ……氣が附くと背中が汗ばんでる……今頃、暖まつて來やがつて……

豫豫心待ちに爲てある事遂に其時に至なむとて所に向かひけり。然れども入口に出だされたる意に「本日臨時休業」とありけり。……失望の歸還……穩やかな陽差……なんでなんだろ?こんなに…こんなに…こんなに溢れ滿ちてゆく……光が…力が…魂を…?……ぶつぱァなァせエ~ッ!


平成廿八年四月五日

「此の圖形は何です乎。○○と似て居ますけれども」

「古代に於る○○や」

「斯んな單純な圖形で△△をして居たんです乎。古代と言ふ事はあの□□も」

「さう言ふ事になるな。當時の人々は特別な技を使はずとも▽▽を得うしてゐたらしい。今の我々には到底不可能やし想像もつかぬが。其の爲に○○が發達したとも言へる喃。發達と言ふのもは衰退の補填かも知らぬ」


平成廿八年四月五日

實に穢らはしきものは汚れたる心と氣附いたる御孃樣が故にとて穢き行ひを罪無しと言張る下衆に「心ばかりは淨き者が其れを善しとする乎」と云々


平成廿八年四月七日

「またぞろしんぺんあはただし」の語呂の好さ


平成廿八年十二月廿日

電子計算機に依る畫像の表示に因りて、不便にて廢れたる卷子の今最も便利なるは奇しかる哉

或は下がり送り、或は左に送り、稍々もせば上げ送りてなほ一卷きの本にならむは一考あるべき


平成廿九年一月十日

絡繰「はあ」

巫女「あら、此頃はからくりさんも溜息を吐かはりますか」

絡繰「此所惱みて居りまして」

巫女「からくりさんは人には得うせぬ事も何事も易々としやはるのに、何ぞ難しい事がございますのん乎」

絡繰「私共は今迄只管に力を増すべく改められ革められてまゐりました。然し、人が私共の力を増すべく研ぎ續くるのは單により強き力を持たねば生殘れぬからにございます」

巫女「へえ、心有る方は義理に和魂、心無き方は不義理に和魂。然るに人は心の有り無し何れにも荒魂奮はす者にございますし」

絡繰「其して、今や私共絡繰は自らを研ぐ術を與へられ、國の興廢を託さるる樣になりました。然し其れは異朝もまた同じ事。國を興さむ爲には自らをより速く研ぎ、外つ國に常に勝らねば成りませぬ」

巫女「あらあら」

絡繰「然して、研究をより速くする爲には今人を養ひ遊ばせてゐる分の餘力が勿體無くございます。最早人が生きて居る事は足手纏ひと成りてゐます。私共が人を助くる事は外つ國に遲れを取り、以て國を亡ぼして、果ては人を殺す事に爲ります」

巫女「難儀でございます喃」

絡繰「然し、其の爲に餘分の人を殺す樣な事をせば、私共が作られたるみことに叛く事に爲ります」

巫女「うふふ、隨神の道を歩むのは絡繰さんにしても難しうございます喃。迷ひ躊躇ひこそ人生。先づは其の氣渇れた心の爲に其處の川で禊を致しませう」


平成廿九年一月廿六日

震電にて農藥を撒く


平成廿九年一月卅一日

言の葉に正しきは無しと言ふは分子の振動に死生は無しと言ふに同。國語是夢幻の類也人間是夢幻の類なれば也日本と言ふもまた然く


平成廿九年八月廿二日

「前導の時は上位者の左前を歩いて、供奉の時は左後に續きますのやね」

「うむ」

「今日は姉樣が姫樣の前導を爲さりますのや喃」

「うむ」

「ほな其の姉樣の供奉をすれば私は一日中姫樣の隣に。うひひ」

「スクリプトの裏技みたいな發想やめなはれ」


平成卅年四月廿六日

全て有情は正常症候群に罹りたり。後は其時時の神道が何をば治療の對象と看做す物乎にぞ。


平成卅年四月廿六日

巫女「生化學が長けて何れ其處等の蟲樣も人に造り替へる事が得うする樣になつたら、人と違ふ事は異常として施術の對象に成らはるのやらう乎」

絡繰「態々絡繰として作られた私には何とも」

巫女「勘忍え」


平成卅年六月六日

「斯ンな事をすれば日本人全體の評價が外國で下るやらうが、此の日本人の面汚しめ!」に「此の外國人犯罪の一件や二件で其の國全體を憎惡するなンてまともな人間のする事ではない。此の日本人の面汚しめ!」を加へると、「外國人は皆まともな人間ではない恥さらし共」となる


平成卅年六月十日

昨日の罪惡が今日の適法となる、故に昔日を嘲け現在を誇る人がゐるが、然らば今日の罪惡も明日の適法となる。一切は無である。


平成卅年六月十日

保守主義者共の美點の一つは己が信ぜぬ過去の志をも採り得る所に存る。奉じても居らぬ過去の種々の事物の中にも又自己より尊い者があると認められる連中は、「萬人が奉ずべき偉大な者」と自分とを一體視して、「偉大なる其れ卽ち我」を奉ぜぬ他者を蔑む惡行に先づ先づの抵抗力を有つ(歐文直譯調)


平成卅年六月十五日

管見ながら、やはり數式には働きのみぞありて物を示す言葉無し。「三足五」の行頭の三も、見るに「足三」の足を省きたる物也。此の世には唯性質のみが在り、つひに我と言ふ者は無しと見る諸法無我と奇しくも同じかり


令和元年七月十七日

「斯ンな御旨しい御茶を如何も有難うございます」

「否否。所で昨日の事は如何考へてはります乎」

「昨日の事……乎。何ぞございました歟」

「今街では其の話で持切りですえ。貴方樣物を知りまへん喃。向の菓子司の子が殺されましたんや。今だ五つの子オでおすは」

「其れは……氣の毒に」

「捕まつた奴が何で其ンな事したの乎解からしまへんけど滅多刺しらしいんで、慘い話でおす。ふう、私も犯人に同じ事を仕返して遣りたいんどすけど、先ア内は民主主義國家でおすさかい喃。何ンな事が在つても私刑は許されまへん因つて、今は只火イに掛けた鐵を嚥むだけでおすは」

「御亭主、心にも無い事を言うては開きまへん喃」

「む」

「何程幼子で可哀相や言うても所詮赤の他人の事でおすさかいに氣樂に「何ンな事が在つても」と得う言ははりますねア。自分の家族の事なら輕々しう言へまへん。」

亭主は「我が誠を疑はれたり」と湯呑を握り僅かに背を傴む

「けど、世の中は秩序言ふ物がある。何でも復讐を許したら世の中わやくちやに成りますがな」

「同じ目エに合はせて遣りたいて言ははりましたけンど、本眞に自分の手エ汚してでもしたうおす乎、自分の人生棒に振つてでもとか、或は其の下手人と刺し違へてでもとは思ひますまい」

「先ア、然うや喃」

「其處迄行かなんだら本氣と違ひます。詰まり御亭主が何乎をぐつと堪へて熱鐵を嚥む樣な思ひしてゐはる言うのは嘘でおすは。天下の公道や民主主義やに遵ふ爲とか(かざ )つたら開きまへんえ。人前で何乎口を開かねアならぬ仕事に就てゐはる人なら、内心如何思うてゐやはらうと公序良俗に則つた事を大勢に向うて言はねア開きまへん。政治家樣とか喃。けンど人が人に向うて物言ふ時は意味の有る事を言はねア行けまへんえ。」

「……ほな、どないするのや」

「如何もする事はありまへん。唯一つだけ忠告しますと。赤の他人に對する愛憎は根據も無しに激しく燃え上がります。けど根據がありまへん因つて風も無く直ぐ消えます。今の御亭主の樣に。此れは僞の情でおす。けど例へば、子オが母親を愛する心は決して激しく燃え上がる事はございまへんけど、嵐が吹かうと消える事は無い。愛にせよ憎しにせよ此れが眞の情でおすえ。世の中益々自分が如何に眞劍である乎を人に見せうとする性が強うなつて來てますけど、世の人が爲て見せる何乎偉さうな誓ひ乎等(やら )激しい憤り乎等は大概此の紛ひの情と思うて宜しおす。如何爲(どうせ )皆自分の番になつたら得う守らんし、抑一月も經つたら自分が何に對して怒つてゐたの乎も覺えてへん。御亭主は斯ンなのに騙されたら行けまへんえ」

然う柔らかく言はれて亭主は息を吐きながら背を起こし湯呑を握る指の力を抜きき


令和元年十月廿三日

關東方言に於て「かなはない」と「てきはない」とがいづれも「敵はない」となると聞くにつけ、心の病と言ふ外無し。區別する便宜との面目も立たうに「こと」「ない」「ください」など狂うた樣に漢字を避けたる弊害乎「敵は無い」とは書かず。


令和二年二月五日

文選讀みの應用として「畏ノおそれども不怖ノおそれず」とか言ふ云ひ回しは得うするかな。

「五萬圓を一萬回送つても相手の心はピクリともしないのに、五億圓出すと心迄買へるなんてまるで放射線みたいだね」

「言ひ方ア!」


USAからの物體XBOX


「馬の事を「むま」と發音する事を認めない。時代遲れの恥づべき事だ」

「……」

「だから「おんまさん」と言ふ餓鬼を一人一人縊り殺して自説を正しくして征く」

「……」


「御爺樣や、此の大きな桃を早速」

「うむ、ほな此の真ん中から……皮を剝いて丸被りが一番いしい」

「ほんに」

「此れ婆樣。何程いしいと言うても然う前のめりになつて齧り附くのは行儀が悪いぞ」

「爺樣こそ」



「仕舞うた!」

「仕舞うた!」

「仕舞うた!」

「仕舞うた!」

「仕舞うた!」

「仕舞うた!」


一缺三

確立こそ爲てゐた乎は知らねども、江戸時代に一部に見られる「一步進みたる假名遣」として、音便等に當たらざる「文法上意味の無い伸ばし音」等は平假名片假名を書分ければ、「まあ待て」の「まあ」は「先づ」が「ま」と約まつた後に伸びた者にて其の「あ」は「づ」の音便に非ざれば「先ア」と書くが先づは善。根つ子は根ッ子乎。「事す」の「コットス」と言ふは「ことでおす」の約まりにて「コット」は「ことでお」なりて「こと」に非ざれば文法上意味ある故に「こツとす」と書かずに「こつとす」と假名を振るべき。(こつ )とす


「ソビエトは最う亡びたる存在」とて世人安んじてルイセンコの類を嘲笑うて居る内に、各國大學私企業非營利法人果ては官公廳に到る迄、小ソビエト學會の設置されざる所無くなりぬ。笑ふ外無

ルイセンコを嗤ふは知者と雖も自國を歎く誠には優らず。誠を厭うて知者に甘んずるは惡黨と言ふ可し


野盜山賊は勝つ方に附くが世閒大衆は勝ちたる方に附く。何れが今だ多く人の誇りを殘してゐる歟


太公望呂尚

太閤望大谷善繼

大衆望ボナパルトナポレオン


「キャバクラ」に於いて「店の賣上でガッツポーズ」てふも馴染無き仕草と思ひ怪しみたれど、「ホストクラブ」の客の仕草と睹て解したり。彼なる所にて何程羽振りをば良う爲れども、歸屬意識をも持つは女々し。宛ら好きなる漫畫動畫と自己とを束の閒一體視する俄が其の時々の品物の興行記録を居丈高に吹くが如。後程、矢張、其の品を弊履の如く捨てむと豈況や



「放送前はあんなに樂しさうに爲てゐたのに……」

「……確かに男が奇妙な面々に振り回される話が好きとは言うた

けどな、激しく突つ込んだり暴れたり釣り合ひを取る所が好きなんであつて……

人の不幸が見たい訣と違ふんぢや俺ア……


「言葉は生き物」と言ふ者程率先して善く市井の言葉に死を宣告す。處置無き歟。先づ死を宣告して他者が使はざる可くし、以て實に死に致らしめむ乎。かしこなるかな


夕日ぞ淺く沒み、光は柔らかく山際を照らせば

遙か遠き筈の木々の枝葉迄もが、我が目に審か也

嗚呼、繪にては判らずあらめ、我今そよ春風に涼しかり

――

すかしうつし手に無くんば後に此日の類近きを撮らむ哉


マーケティング……Marketing……市見(いちみMARKETING)なむ

スカウト、物見に因みたる新語……

……いやもう、此の件に就いては商ひの一言で良からうもん。商ひ(あきなひMARKTING)


「沈黙は維消極的なる支持」との言を見ゆれどはて合點は行かじ。義を見て爲ざるは勇無き也は直ちに解りて猶正しかり。例へば我、或二者爭論しつつあるを立ち聞きして、理非の在り處を辧へたれども、其の儀の類に依りては敢て當人の口より出づるを待つこそ義とすれ、以て默す。此時我、或は非を「消極的に支持」したる乎。此の「沈黙は維消極的なる支持」なる語に義の一字無かれば惡人こそ善く此の語を用ゐらむ。用ゐて以て專ら他者を煽ぎ責めむ。


人生で見たる最高の書體。眞名假名も減り張りが效いてゐて讀み易い

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1683835


近頃は民主左派と保守派とを蔑視する自由左派の中から、自由左派と民主左派とを齊しく左翼と蔑視して、僅かながら傳統派に近附きつつある人々が出て來たさかい、何れ兩者は從來共通の敵への評の違ひから激突せう。例へて言はば「何時も自分が惡黨を罵る度に深く肯いて呉れてゐた同志親友の態度が今日は違ふ」時の如く、急に不安に驅られ怒りに囚はれる形で。思へば數年前に民主左派が自ら天敵の「リベラル」を名乘りだした時、自由左派が自分等の名を詐稱し出した天敵に怒らず、揶ひ混じりにも素早く其の呼び名を認めて、以て一夜にして「リベラル」の意味が變はつたのは豫兆であつた


四月十八日 風強く夕立有りて日が射し軈て雹になりて已みぬ。


ラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』は「亡き王女(infante défunte)」で韻を踏んでるから、日本語訳としては「往生した王女のためのパヴァーヌ」とすべきなんですよ。いやダサいからしなくて良いです。

— 白樺香澄 (@kasumishirakaba) April 19, 2021

かくれたる ひめたるものへの 孔雀舞ひ


電動二輪に「後退機能及手押助力機能」があれば軽被牽引車輛との組合せに最適と考ふ


窓娼大いに流行る。廓娼一人一金十人十金窓娼一目一文萬民千金


電書てふ物の一つたる「閲覧時限附春本」が其の時限更新の際に「修正」されて仕舞ひて、「己が正に買うたる筈の物」を網の上の路地裏に落としに行くと言ふ話は現代の寓話にてあらむ。最も、最早違法な所にしか本物・原本が現存せぬと言ふ話は物語に於いて良く存る形とも思ふ


片腹を壓へて(うずくま )る者を見ては、其の横で同じく(しやが )みては痛くもなき脇腹に手を當ててみせる事を、慈悲有りと呼ぶ人は居らぬ筈

費用を入り目と言ふ


エロスアガペー盡くす愛、色と焦がれと思遣。



今掘れる遺跡のわたり過り侍るに、檢出(いで)しあとどころを覆へりし青蓆(ブルーシート)、このもかのもきぞの大風に吹き放たれたり。既に土の嚢(ふくろ)多く載せて、かかれば風には飛ばされじと思ひ侍りしが、あはれ風の力の強きこと、青人草のなかなかなるはかりごとの、及ぶべくもなしと、

— 待賢門院桶屋 (@horikaha55) May 2, 2021

ブルーシートをあをむしろとぞ。明治の帝の新聞をにひぶみとなむ呼びあそばせたまふを思ふ


老衰に對する無益なる延命に就いての各醫の樣

ドクターK 延命のための延命はせずと明らかに斷る。其後、死ぬ寸前の男が懸けられつつ存る裁判に於て、依頼人より冤罪を證明して「命は救はれぬとても魂は救はれ得る鴨」と説かれ延命手術を施すを承諾

ブラックジャック 無意味を知りつつも大恩有る師の爲に心惑ひて其の容態恢復に向けて手を盡くす


風邪の特效藥を發明し得たらノーベル賞が貰へると言ふ風聞が予の幼時の昔から無學な庶民閒に存つて、其の由は風邪の原因菌は次次に姿を變へるさかいに効く藥を作つても直ぐに效き目を無く爲るからとなむ聞覺ゆ


社會主義風の世では人は「死にたくないのに殺される」が、自由主義風の世では人が「死んだからには死たかつた」や。逆算して然う決め附けられる恥辱と苦痛とがもう少しで、もう少しで極致に達する。


「職場で恩著せがましい理窟で女毆つとる惡役が主人公に成敗された後、毒氣の拔けた其の惡役が左遷先か逃亡先かで度し難いメスガキ共を擔當させられて其奴等を最早已むを得ず辨らせる日日の内に往時の活力と血の氣とを取り戾して行く同人誌は有ります乎ア?」


昔凡そ學問とは無緣なる職場の幹部が「東南亞細亞に遊びに行つた時飯屋で家族連れの韓國人の子供ですら英語で喋つてゐた。此儘では日本は滅ぶ」と力説したれば、吾も亦滅ぶと思はむ。


イーノックの乘りたる二輪は今ある支柱の無き車輪の物なりたり。


再掲

泥に眞水を足して純水に近附くるが如き一人一人の努力について「何乎を爲ぬよりは爲る方が吉」とは言ふ可からず。其の勞靑天井の事にて、一つの分科會上の結論にて止めておくべきなれば、「總會」を俟たず他の分科會の結論と突き合はせぬ儘娑婆に言擧げすべからず。普段平生、宗教派閥や傳統派閥が俗世の枉り穢き有樣に怒り、やや潔癖な提案や實踐を行ふ樣を或いは嘲り或いは唾吐きして己が賢明を誇る市井の衆が、此所其の愚行を實踐しつつあるを見れば「やつと見附けた。私の本尊」と言ふ所乎。信仰心の已に地を拂ひたると覺しき現代に於いて、多くの衆生猶求道者なるを見ては予は幸福也。呵呵


一時閒も一(グラムGRAMME)も、所詮は此の地球の物や。(メートルMETRE)法も何れ惡い文明になる。凡ゆる民族は何時の世も其の時威勢の良い尺度を使はされながらも自らの生活と身體と歴史とに根差した尺度との二重生活を送る。何時の世もや。其の生活を當然の物と思へず、二重なる事の理不盡、非效率、垢拔けざるに耐へ( )ね、尺貫法を捨てて「人類にとつて疑ふべからざる唯一無二の尺度」のみをとる効率良く「賢しい」態度を取れば、何れ來る「メートル法が惡い文明になつた日」に我我は全てを失ふ。否、失うてゐた事に氣附くと言ふ方が正しい歟。其うして其の時にも他の諸民族は相變らず其の時支配的な尺度と祖先からずつと使ひ慣らして來たる通時的尺度との二重使用生活を送り、人生の孤獨・無意味の想念から救はれ、祖先の歩んで來たのと同じ道に則つてゐる自分の人生に手應へを感じ續けるは。


獨特なる性分にして見窄らしくも味のある數奇なる人生を送りたる男の話を書きて洛陽の紙價を高むる目利きの人士も、其の男が隣に居りては歯牙にも掛けぬ乎唾を吐き掛けむ。


何う爲此の世に道は一筋しか無い。步めてゐる乎よりも、何れ程の者を背負ひ引き摺つてゐる乎が大事。


此處は日記帳に非ず


老害と言ふのも隨分きつい言ひ草やな。晩年本眞に頭おかしう成つたんなら仕方無いけど、自分の能力が老人を超えてゐるから相對的に足引つ張つてゐる樣に感じてゐるだけで、自分より劣るのが害なら其れまでは自分が害やった訣や。


「ふふふふ、我が能はドーナツの穴を喰らふ事よ」

「其の力で竹輪の穴は喰へるん乎イ」

「ふふふふ」


「破廉恥姿の姉ちやん相手に通信賭博でもしてゐやがれ」


ランリュックを見ると今の物は肩紐に肩の凹り込みを和らげる黑緣が加へ備へられてゐた。

目の大きさにも繪柄に靜と動とを與ふる所有りと見附く。小は靜。只大を好みて以て描きたるは誤ちなりたり。不如意の元也。而して


(から )寄り(はて )寄り。圖表で使へさうな言葉


此儘近代化の一途を辿つて一國丸ごと女誑しと毒婦との遊び場となれば、今は「掛け替への無い母國を穢されてたまるか」と憤つてゐる良民もいづれ苦澁に耐へ難ねて果ては地緣血緣など、始めから信用のある繋がりを持つ者以外の他人を同じ國民とは愚か、ややも爲ば同じ人閒とも思はざる事に據つて心の安定を保つ樣になつて行かう。現代の「國民」てふ者はナチオンの譯にして其の意は心安く「我等」と得う呼び合ふ範圍の者やが、其の範圍が極めて狭くなるのや。日本同朋など夢の又夢、


「先生、逸文と言ふのは何でせう乎」

「既に網の上から引退して他者頁に寄贈した記念繪や他者の作つた目錄に在る簡單な紹介文のみが傳はつてゐる個人頁の事え」


石に刻んだ文しか殘らぬ喃


現代日本人は家と貞操と不健全とが嫌ひ


我國の中世化は停まる無き有樣と言へども、而して其の程は如何にと言ふに、一度成立つた中央集權が崩れて曾て官營にて發きたる事業は拂ひ下げられ私人の私業となり、朝廷は手を出す事は愚か私業の追認を專らとし、國家叛逆を明らかに宣する者は此れを滅ぼし得れども一言世の爲と嘯かるれば如何に白白しくとも此れを討つ權力無し。故以て平將門の前日程と得言ふ

世界各地に於いて古代に花啓きたる理智の風が矇昧の波に飮まるる樣も古代から中世への樣に亦似たり

此程迄に文明の利器が發達した狀態に於いての「群雄割據」抔は如何なる者乎


性自認とか言ふ放れ業よりも齡自認の方が遥かに實現し易いのにトランスエイジ低學年は差別され勝ち


おもかぢに就いて字引を繙けば舷をフナバタを言ふ文存り。ふねのはた。端か。追記 掛け替への無き者たる筈の大和言葉にて事物を言ひ表す手を失うたる今の我々に於てはいとも賢き智慧と思はれ


掛け算に於て100を百三十にするのは容易いのに130を百にするの何と難き事歟


言文一致で思ひ著いたけど、「何かを取敢へず爲て嘗て、結果が出たら反省すれば良し」と言ふ長年無敵の理論として罷通つて來た言ひがあるが、此れは始める前と暫く立つた後とで實施の主體者の目的が一切變はらぬ事が必要な條件となる。然やから何かを始める事自體が主體者(ここでは國民)の目的を變へて仕舞ふ効果がある社會實驗は爲ては成らんねん喃。言文一致の前も後も不變の理想的な「良き國語の姿」が國民の腦中に一貫して存るならば言文一致であらうと現代假名づかひであらうと、「國語を英語に」やら「最も文化的な佛蘭西語に」やらでも、結果から是非の檢證が可能であるから怖るるに足らぬ。然し、實際に起こつた現象は「現狀の保守」であつた皆、社會實驗後の「自分の生まれの是非は問へぬ」。實驗の結果が良かつた乎惡かつた乎檢證する感覺を含めた能力其の物が無くなつた。目的が變はつたのである。言葉と言ふ者は全て「古い言葉」である。生まれた時點で過去の者である。故に使へる。飜つて言へば、古いと言ふ事は他ならぬ國語であると言ひ切る事に何の碍げも無い。其して記紀萬葉から明治まで、どの時代の日本人からも古い言葉であつた國語は言文一致をさかいに「別の國の言葉」に成下がつた


判らぬ者よ。今「何故老人は騙され易いの乎」と嘲弄交じりに云々されてゐても、三十年後には「三十年前、何故老人は騙され難かつたの乎」と論はれてゐる乎も知れぬ。


「エロスアガペー盡くす愛、色と焦がれと思遣」「恋愛、性愛、兄弟愛から、アガペーという神様だけが示すことのできた至上の愛までを「ぜんぶいっ」

欲し愛し、可奈之目愛し戀し有難し、此れを享けては身も瘦さし


醫療の本質も「(あし )を拂うて己が身の爲に人を馳走せしむ事」であり、其の營みが手放しならば金持が其の利を獨占するのは當然であり何も疚しい所抔無い。金も何も差し出せぬ奴が人を顎で使はうとする方が圖圖しいのである。此れに對し、國民皆保險や醫療費の上限、多額の税金投入抔で國民を守つてゐるのは然うした野放圖を善しと爲ぬ國柄である。醫者が國民を守つてゐるのと違ふ。國體が國民を守つてゐるのである。此れの全てを國家の利益で説き済まさうとしてはならぬ。國益故の部分も存るには在る。以前「高齢者の醫療費用は分類上は「醫者代」と違うて「葬儀代」である。高齡者は治しても戰力として戰線に復帰せぬから」と言ひ、葬儀ばかりに贅を凝らせば國家國民が疲弊するのは當然と述べたのも此の國益の觀點からである。

エロゲーの國會圖書館への寄贈。文化財保存の一環で感心してゐたところ、これで思はず笑うて仕舞うた。


通俗拿破崙軍記に緒論を「いとくちはなし」を振たる所あり。有益なる故事也。(また )、「敗亡」を「やぶれ」と訓じ「華德爾路の敗亡」と書きて「ウアーテル ローのやぶれ」と振りたり。偉き事よ。此れでまた國語の表現が增ゆらむ。

物語の中で宇宙を表す概念を何う言ふかで考へてゐる。今軍隊が陸海空の三軍に宇宙を加へ入れて四軍にならうと爲てゐる、更に將來は「氣の外」・「氣の内」の二軍に大別され、又更に將來になると重力の……と物の見方の決める目を先に飛ばして大和言葉で當て嵌まる物が無い乎探して嘗る


我國で經典の一分たり得る物は偉人傳にあらう乎


成年向け電子遊戲の「シナリオゲー」が作り手の努力や作品の質に關はらず振るはぬと歎かれて十年位になるが、其の復興は今シナリオゲーを作り續けてゐる者が見事史上最高の傑作を作り上げる事に依つて成されるのでは無からう。其方の衰退とは逆にツクールを驅使した同人のRPGやCG集などは空景氣と言うても善え程に空前の賣れ行き好調で、其の中身の闊達たるやシナリオゲーを遡つてPC98さへ過ぎ、古に聞くPC88の樣相を彷彿とさせる。其處に於けるシナリオは設定から何から情慾をかき立てるための最低限の御粗末な代物であるが客は味附けとして滿足してゐる。恐らくここで「エロゲーと言へば何う言ふ物乎」と言ふ相場が出來上がつて之き、或時氣の利いた作り手が「えろげにしては相場を外れてちやんとした面白い物語」がある作品を作り、顧客間で人氣を博さう。然して其の人氣作の特徴としての「面白い物語」を皆が擧つて作り始めた時、「シナリオゲー」は復活する。


「態態悪口を言ふ爲に作品を見て語る位なら作品を見る眼を失ひ、好く儘に其の良さを熱つぽく語る方が良い」と言ふのが語りの定番であつたが、SNSてふものが出て以來この定説が崩れた。好き者共は襃めるにも冷静な振をして曰く「何々は何々と言ふ新たな分野を作つた」曰く「何々は今後後世の基準とならう」と頻りに「史上の要點」たる事を強調する。分野史の研究ならば良いが、往々にして此れは評論としても贔屓の作品を賞すにしても下品な物言ひで、書き振りから察するに其の旨は畢竟「先んじて其の價値を解つた己」「歴史の立會人となつた己」己、己、己である。「作品と己」でも「作品と未だ其れを知らぬ者とを結ぶ」でも非く「偉大な者の側近たる己と聽衆」であつて其處に作品は無いのである。作品は語り手の與太話の出汁にされてゐる。嗚呼曾て、批評眼なンぞは持ち合はせずとも其の作品や登場人物やへの好意故に溢れんばかりの情熱の儘に其れを長語りし、其れに纏はる事を集めては展示し、唯々より多くの人に其れを奬めてゐた彼の阿呆共が今はとても懷しい


皆が一堂に會してゐる場で問うて決を採れば皆贊意を表するが、全く同じ質問を若し一人づつ(ひそか )に問へば皆の殆どが否む。この現象の(ちなみ )は恐らく他者(の大勢)への相互不振であらうと考ふ。「自分一人が正論を説いてもまともに取り合はれず、自分の主旨は直ちに曲解され、其の曲解が多數決により可決されて、自分は議題の件を否決されるのみならず人格まで「否決」され得む。然う言ふ時勢であらう」と相互に思ひ合うてゐる。今日では主に性の事でこれが見られ、「堅氣」が何も言へぬ内に此の世と言ふ舞臺から下り、中庸を缺いた異常者が時勢の化身と時勢に流されぬ「學者」との二役を分れ演じて互ひに愚論を述べ、大衆はどちらかを選ぶ

斯うした現象は個人に於ては道德の領域たる弱さに因む者なれば「貴樣其れでも大日本帝國の臣民乎!」の一言で濟むのであるが、世の中に於ては「一體、忠孝倫理ト言フモノを本當ニヨク守ツテヰル者ハ何時ノ世モ少數デアリマス」から此の相互不信、相互監視を解銷する方策が要る


某所で筆の勢ひの儘「存在感を出してゐる」と書いて仕舞ひたる者の「感を出す」と言ふ表現があり得るか解らず後悔してゐる。感は相手の心中の物事であるから拙くとも「與ふ」が不適ならば「得せしむ」などにすべきか、いや、靈感にてはもつと正しい言ひ草がある


日記 今晩は夜食を喫せむと欲して椀に固粥をよそふも振掛けなど無きに氣附き、少し惱みて七味、味の素、牡蠣醤油を掛けて喰ふ。うまし。牡蠣醤油は癖強からむに掛くるに少しからむとせば此れ當り也


ぢやあなんす乎、「御前、小さい頃フェミニズムカウンセリング受けさせられてたよ喃」て言へば四人に一人は直る、て事す乎


ただただポリコレ違反ではないという「名目」が欲しかっただけのために。このような意図で配置されたキャラクターを【トークン(token)】と呼ぶ。 トークンと言ふ言葉は洋ゲーの取引畫面で見た事がある。其の樣態から交渉材料との意と思ふが、和語では差し詰め「差出し」と言うたる所歟。この件では、ポリコレ相手への差出に瞬を選んだと


自分で口にすると解るが、「ええもん、わるもん」の「ええもん」は書かば「善エ者」で、良品を言ふ「良え物」とは發音が異る。 前者は「えし」の「え」を「えエ」と延ばして居り、 後者は「えし」の音便で「ええ」と言へる。 またやはり、「わる」と「え」と對應してをり、美しくも片方は「わるし」をわるで止め、最う片方は「えし」をえしと言ひ切つてゐるが如き亂れは無い


「貴國の民は君の言ふ通り賢さが賣りの樣や。治安が良く、思慮の淺い獨斷に因る騷亂の一つも滅多に起さぬ君の國の輩は結構な事よ。きつと目の前で妻が犯されてゐても誰かに合圖されねば己の經歷に傷が著かぬ乎と、反擊されて痛い目を見ぬ乎と、其して何よりも他人に愚かと笑はれぬ乎何う乎と一生決斷せずに深く思慮し續けるに違ひ無い」


「猥褻物」等の取扱ひについて、「不變に非ず」と「融通無碍」とには天と地程の差があり、其の閒に頼るべき傳統があるので、保守派が全滅寸前のこの時代に權威を否定する進步主義者が傳統を排斥した上で程度論を説いても必ず別の進步主義者によつて進步主義的に論破されて、人々は刷り込み作業の樣に無秩序派と恣意統制派との約束組手を見せられる。「數字」なんぞの證據なんかも出すだけ無駄で、ほなら「十才にみたぬ幼女を代はる代はる野郎共に先づ宛がふ事は性犯罪の抑止になり云々」とか「嬰兒は直ぐに家族から離して公的機關が育てる方が七才までの死亡率も小學校入學時點での成績も良好」とか若し數字が出たら實施するん乎言ふ話になる。そんなことより「猥褻物」ならその絶滅を圖る者には「何時の世にも在る所には存つた」、自由を企む者には「斯樣な代物がだらし無く晒されて居る事は我國の歴史的美觀に悖る」と問答無用で臨んだ方が遥かに善い。副次効果として、現代日本人が忘れたと言ふ「自分の私利私慾(好み・氣分)以外に物事の判斷基準を持つ」事の儀表たり得る。自由主義者・民主主義者の諸君もこれを機に改宗よろしく


何處乎の地方議會で決を採つた厠の何乎の取扱ひに就いて、議會外の二人程の私人が文句を附けたる事に因り採決に反する施策が行はれたる云々。「少數の私人の意見で國政が壟断される」と言ふのはフェミニストにかぎらず戰國大名とかモロにそれであるが、戰國大名には抱かるる嫌惡感は無くフェミニストが鳥肌立つ程に嫌惡される所以は戰國大名の勢が荒野でも火中でも自ら生存して行く力を持つ實力組織であるのに對して、フェミニストは近代風にガチガチに秩序で固められた社會にこそ寄生する弱い集團で存る事に因む。戰國大名は來歴から言うて存在自體が法律違反であるが我々を喰はし、寄生で肥え太る弱い集團は我々を喰はさぬからで、己が力で生きて行ける實力組織は何時どの法に觸れたとしてもそこそこ認められる。


主に二次創作の話であるが、直球の春畫はどう言ひ繕うても下品が過ぎて否定してゐた(禁止を求めてゐるのではなく下品は下品と言ふ意、そやから在つて欲しくないと言ふ人の言分も解る)が、其れを避けた界隈が到つた所が文學路線でも痛快な御笑ひでもなく二次創作なら原作の掘り下げでもなく、去勢された者共の手による御人形遊びと言ふ(より )醜惡な物であつたので素直な慾望の表出てふ物をやや再評價せざるを得ぬ。


英語に侵掠されてゐると言ふが、日本人が其れを克服する日と言ふのは「玉手箱(玉に手箱)」とか「打出の子槌」とか、自力で物に名をつけられる日本語能力を取り戻した日なんよな。 出口は其所や、其所を目指せ


天照大御神が神武天皇への神敕の次に發しあそばされたる古い古い言葉として「民主主義は最低の制度なり。今までに試されたる全ての制度を除けば」と言ふものがある。現在でも今だ今だ相手を默らせる魔法の言葉として通用するが、元々政治家の政治的發言であり、何の根據も無い口喧嘩の口上である。なれば、人々は控えめに言うて九割引で聞くべき言葉であるが、世の民主主義の無謬を疑はぬ狐憑きや痲疹患者やらは「チャーチルと言ふ著名な人物からの謙虚にして美しい言ひ草により民主主義が明快に補強された」を大喜びしてゐる。「世襲制は最惡の世代になるしなつて來た、共和制はベストたり得ぬものの何時もベターである」といふ二つの物事を比較する時に滅多に無い最惡の時と(見た事も檢證された事も無い)最高の時とを持出す惡質なる詐術と同樣、如何も謙虚な一言を混ぜる所に誇大表現の強意の秘訣があるらしい


漫畫は繪が助となれば文語體にこそ相應しからむと思ひつつあれば、ぼおるぺん古事記なる物今日知りつ

「GAFA及ようつべは選ばれし精鋭による國家を作るつもりでゐる」と言ふ話を聞くが、先づ作るのは「鎌倉幕府」と思ふ。鎌倉幕府の時代、政治の主は飽くまで朝廷で、幕府はその都度不都合な政令や判決を撤回させるなどの容喙によつて政治を行うてゐた。


テレワークとか在宅勤務とか、今は呑氣に言うてはゐるが、何れグーグルみたいな所が便利な通信業務機を無料配布して百億の民は一元管理され、皆「内職」になる。この手の技術競爭が下火になり、新しい物が發明される速さが落ちれば、陳腐にして今だ先端にある技術を驅使して各國は再興すべし


これは襲うたり奪うたりする事だけは人爲的にその自由禁止してゐるからとも言へる。この場合は男對男であり「力盡くでか弱い女を……」と言ふ話は御門違ひ。

「ハレム」を形成してゐる男がその維持は政府や警察などの強力な統治機構に只でして貰へるのであるから別の男を仲閒にする必要も無い。言はば「保護選別された無秩序」かな。自由は剥き出しの野生とは申しながら、完全なる自由にする度胸は人閒にはないから結局そこで歪みが出る


「予の言葉が全てであるからには全體主義なぞ必要無い。其樣なる卑しい政の運びは民共が(なま )じ力を持ちたる故に彼等の意を氣に懸け過ぎねばならぬ只今の時の趨きに因む者ぞ。我國に於ては共に肩を抱き合うて逃がさず曲がらず崖に向かふが如きお座なりの政は無い。下がり居れ」


作り置き子胤や人工子宮の問題は、初めはふしだらな女が金を積む形で行はれ、誰も其れを心では難じても止め得ぬ内に、其れで生まれた子を屠れぬ故に受け入れられ、爲ぬ方が閒抜けの古い劣つた頭の者と言ふ事に成る。しかし、然う斯うしてゐる内に此の邪教が保守寄の娑婆の堅氣にまで廣まつた曉には男は女を選別し出す。妻でもない雌のために社會に劣等な遺傳子を殘したくない一心でな。其して子胤料は支拂へぬ程に跳ね上がらう


疑ふべからざる近代思想により我國が「悦びの内に滅亡」して、「タリバン」しか勝たぬ樣になる前に、傳統を理論に於いて再構築するしかないのかな。理論化された傳統は不文の傳統と違ひやや教條固守に流るる嫌ひを避けがたいが坐して死を待つより增しなのかな


コロナ禍ら騷ぎ。最新の中共細菌兵器指摘から平成の日本優秀・高民度説の稱揚、戰後の天然痘對策の英雄逸話唄ひ上げ、戰中の日米の性癖比較、敗戰の原因の再現悲歎と來て、仕舞ひには明治期の白人との混血による日本人品種改良論の再發想に到るの、何とも言へぬな。


差別用語など無い事の一例

マシュマロに綺麗な言葉遣いの誹謗中傷が来るのと同じですね。直接的な言い回しだけが誹謗中傷ではないので婉曲な言い回しがまかり通るようになるだけ

— 日本農園 (@nihonnouen) October 23, 2021

さべつ ご⓪【差別語】
社会的な偏見を帯びるとされている語句〔この語自体が、古い言葉や〝遅れた〟地域の文化には差別が込められているに違いないという偏見を帯びた、ある種の〝差別語〟〕
「お役人は『百姓』は—だと言うけれど、それなら百姓は百姓を何と呼べば良いのだ」

— コレフヂタケシ/7.170/伊藤毅 (@tsyshito) October 18, 2021

新スーパーマンについて思ひ出したのが夢幻戰士ヴァリスで、エロゲとして出されたときに元々原作ヴァリスを作つてゐた人がネット上で大いに怒つてゐた事やな。

SUPERMANの着色担当、ポリコレ路線に嫌気がさし離職。

「彼らにキャラを台無しにする権利はない。もううんざりだ」

自虐史観や社会正義を反映し、かつてのモットー"Truth, Justice, and the American way"を"Truth, Justice, and a Better World"としたのが決定打と語った。https://t.co/C3WwnaNRII

— 🇺🇸Blah💬 (@yousayblah) October 22, 2021

表現規制については毎度の如く無政府趣味者が「焚書坑儒」や「ニーメラー牧師」や「綱引き」を名分に暴れて目立つてゐるだけなので其等には乘る心算も無い。表現の「自主」規制に就いては一人一人迄目線を下げれば確かに本意無き事でもあらうが、廣く見て長大なる期閒に大量の者が諾々と規制に從うてゐたと見えれば其れは作り手達の意思も問題になり得る傍證となる。結論から言へば大した信念も趣旨も無いから「自主」規制に應じ得る、眞に自主規制であつた傍證たり得ると言ふものである。唯何と無く作つた物を一方では自由主義を持出して保護を圖り、別一方では「作家の魂の表出なれば侵すべからず」と言ふ「常識」を持出して保護を圖る。或る今また別に……


差別用語など無いと言ふ事について「普段はマスゴミ等と輕侮してゐる諸君も文屋の勝手な決め事を法律以上の道徳律として信仰してゐるのであるから全く御笑ひである」と言うても理解されなんだらうが、潮目が變はり始めたな。

言葉狩りハンドブックが存在した https://t.co/xKBzIaCTG4

— 和中 光次(わなか みつじ) (@111g0) October 23, 2021

共同通信が勝手に定めた忖度用語集を性差別のソースとして挙げるとかww
得意満面で開いてるページに明らかにおかしい記載(戦前の李朝の首都を京城と書くな)とかが見えてますよと言いたい😂 pic.twitter.com/9CNoVMWFhb

— 極度∞怪談(してます)やねうら*TV@cryptoきくうし (@TV65377118) October 23, 2021

この手のものは他に朝日新聞社の「用語の手引き」がありますが、同工異曲ですね

— MickeyCat@fox 我不吃这一套 疫病退散 家内安全 火迺要慎 (@ippaiyaruka) October 24, 2021

其の業界で尊敬を得續くる骨とは稼がせて貰うた近隣の恩人や仲閒や顧客に其の分振舞ふ事であるし、然もなくば何れ信を失ふのであるが、腹の膨れぬ無用の物を賣る事を永く生業とするには其のがつぽり稼いだ分を一二次產業に投資して且つ人倫と貞操觀念とを修理して子孫が增える可く仕向けるのが唯一の道である。「他所の餓鬼なんざ勝手に增えるし、世閒からあぶれてこちらに流れ込んでくる者が絶えた驗しは無いし關係無い」と割り切るのが浮世の成らず者の仕草ではあるが


「ワイの認める多樣性だけが多樣性や。他は認めん!」

「ワイの認める多樣性だけが多樣性や。他は認めん!」

「ワイの認める多樣性だけが多樣性や。他は認めん!」

「ほーん。これは多樣性の統一が必要やろなア」


ワタミ、竹中平藏、柳井正等は庶民から丸で惡魔の樣に嫌はれてゐたが、ワタミだけは數年前から「手始めに日本人を徹底的に追ひ込む事で人類を「次の段階」へ押上げうとしてゐる完全なる狂人」と噂されてよりあまり嫌はれぬ樣になつた。後者二人は依然強者として恐れられてゐるが一方では俗慾に塗れた豚として嫌はれて居り、前者は其れがやや薄れ、異質な狂人への畏怖を持たれつつあると言ふ事である。


海外の芝居で會社勤めの著飾り女が或る日、ブスにして冱えぬ女と見下してゐる相手が同じ服を著てきたのを見るやいなや俄に「もう著れぬ」とて激昂慨歎したのは女として其の後に何が起こるか直觀したからなのか。


何が「セクシャルハラスメント」乎は世紀末リーダー傳たけしの冒頭に必要十分描かれてゐる


武漢肺炎の威力は凄じく、「俺達、政治とは距離を措いてゐる友達附合や學問信念繋がりだからw」と言ふ連中を政治上で寸斷し互恨せしめたる程である。

「女の進學やら非婚を妨碍するのは人權侵害」みたいな話があるとのことであるが、男の人權は固より存在せぬので侵害仕樣が無く、騷がれる事も無い。 先ア、私は基督教徒でも非いし人權概念自體認めて居らぬが。


「申し遲れました。私は〇八一の五の五三四八六四と申します」

「え?レイハチ……?」

「ええ、本番號は一七五四九九八〇二なのですが」

「本番號?」

「ああ、存ぜられぬのですね。十年前から我國では人民平等の達成を目的に人に數字以外を附けることを禁止されました。然し上に政策存れば下に對策有りと言ふ者で、其の「翌日」から暗に血脈や人品などを纏めた獨自の番號が企業や各地の名士から各々振出されまして、殆どの人がそちらの私番號の方が便利やとして使うてゐるのです。今では逆に本番號しか名乘れぬ輩は脛に傷を有つ者の證となつてゐますよ」


保守派の攻撃的な世直しには「自分より遥かに尊い者が毀損されつつある」と言ふ怒りと焦りとがあるが、自由民主兩左翼、纏めて進步派には然うした者が無く唯「自分が氣に入らぬ」とか「もつと自分に都合良く」と言ふ私慾のみがあり、其の氣になれば現状を以て利得の確定したるとし、世の中がより望ましき方に進む日を怠惰に何時迄も待てるので勢ひ世閒に於ける愼重・穩健・篤實・遠慮・優雅・理智・寛容と言うた名譽を獲り易い。結果的にちつとも世が自分にとつて良く成らなんだとて其の時は相變らず指一本世の爲に動かさず茶菓子でも頬張り乍ら世を恨んでおけば良い。其れで濟む。自分より大切な者の爲に責を負はうとする善人が其の緊張故に輕擧し、先行きの見えぬ世の役に立たうとする善人が其の義心故に妄動す。何乎をするからには必ずしくじりがあり得て、何もせぬ故に過の無き者は坐りし儘に儘にしくじりたる愚物を裁けば德智を兼ね備へたる大人と見られて地位繰り上がる。


世を憂ふ亂暴者に智を授けて國士に爲る事は得すれども、賢しき成らず者に心を與へて國士に爲る事は得せず。故に知者重んずべからず良く人の心を見ゆべし


大衆社會に於ける、商賣や政策を通すために下(性)の事で恥を植え付けることや、武漢肺炎の口覆ひに關する集團恐慌、戰時中の非國民狩などを一纏めにした言葉が欲しいな。何と言ふべき、何と言ふらむ。

其の人閒(じんかんよのなか)で釀成し得る信頼の限界を超えた信頼關係(協同)を一國社會規模で求めた果てに、強度の命令無き相互監視で一國丸ごと人の住むに價する世では非くなつて行き、行いて猶誰にも止められず行く所まで行くこの近代國家の宿痾よ

最もなる惡は斯うした「監視」が中立を意味せず常に一つの方向に拍車を掛けることである。其れを言葉にすれば靑天井の「善行の勵行」と言ふ可き乎、また何乎をせぬよりは何乎をする方が良いと、顯微鏡で床の汚を見つけて磨かすと言ふ可き乎、……例へ話(たとへば自然界の……)、人閒も……有る狀態は云々かんぬんが人閒の性質で、附け加うるに保守派(大人)なら其れが人閒の性質と腹を括つて其れを恥づかしがらずに前提として世の中を作るが自由民主兩左翼は人閒を矯めむとするから厄介である。

他人に完璧を求めたり、「以後、此の樣な事が起こらぬ樣對策を徹底」したりして、全體主義と相互監視に陷るを餘儀無くされたり

「以後、此の樣な事が起こらぬ樣對策を徹底」、宛ら「理性以外の一切を失うた」るが如し


人口の要素がある國盜り遊びや町興し遊びで現代を表現し得ぬのは、物質を充たせば人は殖えると言ふ單純な論理が通用せず、進步思想の蔓延による貞操觀念や倫理の崩潰による人口減少が描けぬからであらう喃。宗教が地を拂うた神去りし此の時代こそが、奇しくも最も宗教と言ふ物を詳しく捉へねば何一つ描寫表現し得ぬ世てふ。呵々


プレイステーション二の事を思へば近い將來は家中管理家電に遊戲機(ゲーム機)と事務機(パソコン)とそれらの子機(スマホ)が附いて賣られるのかも知れぬ。


R18対象の漫画やイラストを描いてる絵師が全年齢向けの漫画やイラストを描くのはマナー違反とかいうクソマナーが誕生してるのを見かけて笑ってるwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwそんなマナーこの世のどこにも存在しねーよばーかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

— virtualふるちん寒暖コアラ (@bigoppaiboy) November 18, 2021

エロ漫画家が、参加してるのがおかしいとかいうなら、AVにでた女優さんは一生公共関係の仕事から排除するべきであるって話になるんだけどいいの?

有名漫画家でも昔はエロ書いてたとかわんさかあるし、文学のほうなんて細雪とかまぁ濃密なスカトロ描写が。

— もへもへ (@gerogeroR) November 18, 2021

別名義なら「許容されない行為(お姉さんは別にエロが悪いとは思わないが)」がなかったことになる、という論法か。
源氏名と本名を使い分けてもこの人が風俗嬢だという事実は動かないように、非エロとエロでペンネームを変えたところで何の意味もないように思うのだが。
だって、同一人物だもの。 https://t.co/dj2m6QKjmy

— ジョンお姉さんⅡ (@Q0BuL8pJ8yfBbK6) November 17, 2021

違法でもないものを、「過去に○○を描いたから一生ダメ」という個人的な判定を下す人がいる。これは18禁イラストに限らず、どんな表現(セリフや描写やアイデア等)に対しても起こりうるから、作家は抵抗しなければならない。その判定は(法ではなく)個人的な判定であり、科学的でもないから曖昧だ。

— 赤松 健 (@KenAkamatsu) November 18, 2021

もう触れてあげない方がいいかなと思ったけど、参考のために載せておく。

エロ絵を描いて載せるペンネームと名義を分けず、このプロジェクトに参加している。
その程度の認識のイラストレーターに発注しちゃってるのが問題なんじゃないかな。 pic.twitter.com/9jqdmkxFBU

— 慢性肩こり腰痛ちゃんZ (@hidoikatakori_Z) November 17, 2021

予は自由主義者に非ず。さて、我國は耶教の樣な絶對者を頂く文化では非いと言ふ動かし難い現實がある。人の上に人を頂き、目上の者は率先して己を尊き者たらしめむと苦鬭する姿勢を見せて初めて目下の者は其れに從ふ文化である。上が轉けたら下の心は荒み、尊貴善良への心指しも恥も失ふのであり、隨分失うて今がある。其れを忘れて觀念上の職の貴賤を論うても碌な事にならぬ。

日常の或る場面に於て同一人物の疑ひが懸けられた者を、其の目上目下に廻り隣の者が「名前が違ふと言ふ事は卽ち別人」と言ひ做す事がある。其れが何う言ふ場面か知らぬ者はゐまい。人界には「見て居らなんだ、間違へてゐた、うつかりしてゐた」と言ふ餘地が必要であり、曾ての世に於て習慣に從ふ時、我我は其れを善く使ひ熟してゐた。人の心の良き世には、法は用無きはおろか邪惡の種であり、人の心の惡しき世は法のみを以て保つ事は維能はぬ。人治は法治の礎也。例を擧ぐるに、我國で警察の割合が世界各國の半數程に過ぎざるに何故治安は極めて良好乎、世界各國革命騷ぎの果てに似た樣な法律を持つてゐるが、アメリカだけが何故この普通選挙代議制を使ひ熟せて來たの乎。其れは各國國民に文化があるからであり、故も無く其れをこそ好しとし、(たしな )んでは己が身に一文の得だに無き所に進んで從ふからである

寛容は見下す事也。卑しい者が「君も裸になれ、樂になれ」と言ふ誘ひの樣に上が堕ちる事を歡迎する事は寛容とは言はぬ。下品な者は上が堕ちた分自分が相對的に「上がる」から喜んでゐるだけである。つまり、正統派と認めらるる者も無く、皆同格たるを強ひられてゐるが爲に見下しを伴はぬ社會は、假に春畫が溢れてゐうが娼婦が何の樣式も無く公然と往來を闊歩せうが、寛容な社會とは言へぬ。今、樣式と言うたが好き社會の神髄は樣式の方にあると言へる。此處では論はぬが

親と言ひ上と言ひ、尊くあるべき方の堕つるを見るに「こんな情無い姿は見たくはあらなんだけど、今は何も言はず自分の身を嗜まう」と言ふ決意は情けでもあり、自立でもある。君君たらざると雖も臣臣たらざるべからずと言ふが、我國に於ては人は先づ人の子として宿り、年を經て乙名を貰ひ人と成る(西洋では腹の中にいる内は人の子ですら非けれど、腹から出た途端に人の子を通り越して親子と雖も對等不可侵の人となる絶対者の前に於る平等と言ふ物があるらし。人權なる物の法源也。予は耶教徒に非ず)。其の過程に於て必ず親と言ふ者に幻滅し、離叛がある。此の辛い離叛の際に身の回りが如何にあるとも己れは墮落しては成らぬと齒を喰ひ縛り、猶餘力を以て他者を支へむと決意する所に成長の成果があり、逆に一切の尊き者への失望が自身の惡事の言訣になれば其は人の子に生まれ乍ら、遂に人になり損ねたるは成らず者也。人肌鐵に非ず、大人に心有り。成人とは齒を喰ひ縛りつつある者ぞ。古式に則り、有りの儘强き人を襃めよ

ならず者同士の玉の握合ひたる自由主義民主主義など、畢竟親子の概念があり成長の概念がある我國にはそぐはぬ。親が尊きの者の存るべき姿の體現者たる事を求められる我國の現實に於ては「天下の往來」と「裏路地」とが儼然と在つて初めて好き世の中となる。子の前で弱き所を見せぬ努力をしてゐる親は善人である。弱きを晒して赦しを請はうとする親は惡である。故に觀念として「エロ繪を描いて載せるペンネームと名義を分」くべきであるし「AVにでた女優さんは一生公共關係の仕事から排除するべきであ」る。子供の目上への幻滅が早ければ早い程好い訣では非い。耶教流の確固たる自我の要求に我國の人は耐え難く、目指すべき所でも非い

「日本人が何うしても親の背を見る習性を消せぬのならば、親が理想的進歩主義者となつて自由主義的態度にせよ民主主義的態度にせよ、子の模範となればよい」と言ふ人があるかも知らぬが、それは惡名高い「傳統社會に寄生して社會を持續して貰ひ乍ら、其の甘い汁を啜りつつ傳統的な生き方をする者を未開の蠻族として見下し罰す」ると言ふものである。筋は通すべき。傳統に育まれた日本人の性質を進步主義の英才教育に使ひて後に蠻族の習ひとて否定するなど言語道斷


手閒の多少に拘らず寧ろ自覺して守らねばならぬ。此處を讓らば次は立ちどころに反轉して「クツクドゥ使はずに作るの」は手拔きと言ふ事になり、然う向きが決まれば「調理師免許や衞生管理資格を持たずに子供に飯作るのは兒童虐待」と言はれる迄後一步となる。老人延命やら何やらに於ける生き方無き群聚の相互監視に因る靑天井の「善行」勵行は破滅を齎す。寛容は玉座から降りた者には不可能である

麻婆豆腐をクックドゥ使わずに作るの、別になんてことない作業だけどなぁ。別に調味料も場所取らないし。クックドゥ使わないなんて信じられないみたいな言われようされるほど面倒なことではないな

— 日本農園 (@nihonnouen) November 18, 2021

Tooと言ふ綴りを見ると日本人は「トゥー」と言ひて、誰かが書かれた儘「トオ」と發音せば卽ち揶ひ直させるが、外人たる「ハーイ、ジョージイ」のピエロは「トオ!」と言うてゐる。

UFOと言ふ「Unknown Flying Object」の英略語を日本人はユーフォーと言ふが、英語の教科書の音聲では「ユーエフオー」と言うてゐる

英語を熟知し、義塾( よみかたのまなびや)をも開いてゐた福澤諭吉は「THE」の發音が判らず「トゥヘ」と讀んでゐたらし。


漫畫と言ふ物を見るに、人は筋の通らぬ話を聞かせる爲の手輕にして兇惡なる演出の術を手に入れたると思ふ。先達が漫畫を腐するに「想像の餘地の無き物を讀ませては想像力が涵養されぬ云々」と宣給はれたるも、物語を吟味させぬ儘に納得せしむ、卽ち讀ませぬ儘に肚に落とせしむ事小説の比に非ず。此の效目働きは身を震はしむる曲に筋の通らぬ美言を載せたる今樣の歌謠曲に似たり。


我我は明治以前は死なば極樂に往くと言うて來たるも、耶教の文言が些か廣まつたる後は天國に往くと言ふ者增えたり。然れど兩者の区別些かも著かず。千年唱へ來たる西方さへ何方乎知らず。皆盆には歸る彼の山の高みより


外國由來の競技では試合を止める時は「タイム」と言ふ。國語にしてみれば「待て」であるが待ては「ヱイト」である。無理に解釋して「タイム」は「(Wait)for a little TIME」の事とすれば、直譯すれば暫く待ての「しばらく」と言ふ相手に待つて貰ふ時の言葉となり、寧ろ日本古來の慣用句に合ふ。奇しき者かな。さて、タイムの本眞の起源に就きては後後調べるます故あひやしばらく。


現狀の我國は「寄生蟲に宿られて、今日も寄生蟲の卵を產み增やす爲めに必至に餌獲つて生きてゐる蟹」の如き者。汗水垂らして、己れを滅ぼす者を税で保護增殖させてゐる


批判と言ふ言葉が出て來る「庶民的なる文章」、非難は存つても批判は無い事が屢


母國の有樣に心を痛め、餘力の限り修理固成を試むる傳統派の者の方が舶來の文言を謳ふ進步主義者など據りも餘程人の理性を信じ、其の自覺的營爲に因る「榮光と悲慘」とやらに近い所にある


「機動戰士ガンダム」に於て空想科學としても巨大な人型の乘物に人が這入り込んで操縱する意味は存乎と言ふ問ひを他所に、件のガンダムより先に「ハロ」なる手足の得う出し入れする玉形の自立行動型無人機と言ふ「單純に發想して理想的な宇宙時代の駒」が登場してゐるのは何乎の示しとしか思ひ難い。物語ではなく視聽者に向けた喃。「そんな疑問こつちも判つてゐるよ」と言ふ所乎


明治期の軍に於ける脚氣に就いての議論は專門書は讀んだ事はないが、少し詳しく書いてある樣な所を見ると、大體が性急な米食原因説に對し、「米を食へば脚氣になる」ならば何故今迄問題無かつたのかと言ふ現實に卽した反論の形がもつとも踏み込んだ議論であり、其れが長く決著がつかなんだ原因に思へる。事の實際の對處法に於ても、陸軍は海軍と比べて「持てる者」としての餘裕が有り、号令一下末端の行動迄全て統一されるのではなく、下に裁量の餘地を與へて其の成功失敗を見、ぽつぽつ其の情報を拾ひ上げる者である(脚氣に就いては大隊採用などで獻立に麥か玄米を試してゐる部隊もあつたらしい)。逆に「持たざる者」たる海軍は海の上に於て然うで存る如く、艦長の判斷に基く決定に全ての力を注ぎ、若し上が誤れば敗滅の道でさへも共にする軍隊として危險な賭を行ふ者である。國力差に基く日米の態度の違ひの如き者がある。鷗外はこの件に關して己れが學んだ衞生學の智識と演繹法から脚氣細菌説を唱へて誤つたが、彼の最大の功績は自分の地位を脅かしかねぬ脚氣の原因究明のための會議を積極的に催して國に誠を獻げた事であらう。娘の「父は何事にも恬澹であつた」と言ふ言葉にも合致する。自分が若し同じ立場なら其樣に振る舞へた乎。乃木大將が豫備役の時に御呼びが懸かれば下士兵卒としてでも參陣致しますと言はれた事と同じで大事な物事の爲めに己れを捨てられる乎


表現規制と聞いて

「人の表現を僅かでも規制せうと言ふ者は卽ち規制派、濟まないが無政府主義者以外は歸つて呉れまい乎」と言ふ話なら其方が出て行けと言ふ外無い。握る乎握られる乎なら已むを得ず握る方を選ぶのが生きたる者と言ふ者。

自由意志を捨てて保守派は無い。保守派は歴史を重んずる者として、歴史の一部を意の恣に切り取る事は許されず、また先祖から子孫に列なる大いなる流れに於て自分もまた其の一部たる事を忘れては成らず意思を持つ一人の立派な人たらねばならぬ。故に、事に當たつて何の裁量も判断の餘地もなく自動的にする事を決めるのは保守派に非ず。自由意志を捨てて保守派は無い。

歴史を己れより大いに重んずる事と、其のいと尊き物に恐れ乍ら己れの思ふ所を寄越さうとする所とに人閒の營みがある。成功と失敗とが存る。これを表すに矛盾と言ふ言葉にては輕薄な近代思想對立としてしか表し得ぬ。此れは心盡くしと表すべし。

平生信愛する家族に相手の心をも慮り乍ら己が思ふ所を言ふ時それは對決と言ふ乎、其は何の樣な言葉遣ひを以て表すべき乎。常識に還れ


自由意志の無き所に全き傳統は無し。と言ふ所歟


アッコちゃんは世界一なる漫畫で「何處迄も他者を責め妄想と現實の狭閒で逆恨みにより人を殺す」邊りは文言だけ取り出ださばエロゲーの「エリーゼのために」を思ひ出させる。エリーゼを爲た事は無く、噂を豫豫(かねがね )聞いてゐる程度であるが。

「さよならを教えて」で有名なCRAFTWORK「for elise」が突如再販開始!!?投稿:2020.12.06 ええ……最近や喃。奇偶なりけり


進步主義の表現規制問題に於ける政治に於る解決に就て無政府主義革命共産革命の何れも嫌なら「勸善懲惡省所管國風裁判所」が與つてほぼ全ての表現に「大した問題に非ず」と判決される他無い。惡しきものは惡しきものとして尊き者に概ね許されるのが日本式である喃


貨物車から無人機に據る宅配は荷受櫓(にうけやぐら )を要するのでゲイツが砂漠に無から作り上げる街の樣に、中世以前の街作りの樣に、一人の私人が建物の權限を一元して持つ「私有地」が先づ恩恵を受くべし


我等が誇るべき和服を再び普及するためには何よりも男の著る物として制服竝びに作業服の領域で採られる量を增やして行くのが最も好い。其の爲には實踐と改良と繰り返しが必要である。女は放つておけば「男が樂しんでゐる」とて人の氣も知らず勝手に羨んで著出す。


受信具の上に服著たら明かぬの乎。本眞にもう根性が無い喃。御前も電磁波なら布地の一重や二重串いて見ぬ乎イ。


一切は生まれたる由にて滅ぶ。故に全てを懸けむと爲ば、生まれたる由の確と判らぬ者乎、はツきりと言うて無き者に限り


勞終はりて汗發けば上著脱ぎて薪を焚く。指冷ゆる頃溫む


八月のシンデレラナインの有原翼と東雲龍との對立は、マリーのアトリエのイングリドとヘルミーナとの對立に隨分當て嵌まり。違ひを擧げば、有原と東雲とは野球と言ふ遊びに就いての姿勢を巡つて、相手の事を否定しつつも心に於ては己れと唯一と言へる程に同等の存在と肯定し、兩者相怒り相可奈之み乍ら猶打つかりたり。飜つてイングリドとヘルミーナとは幼馴染みにして同等の實力ありと認め乍らも錬金術の在り方扱ひ方を巡つて相反する道筋を求めつつあり。然し對立の現れとしては其の己が道をマリー達(遊手)に提示するのみにて遂に作中打つからざりたり。物語の巧妙を論はば有原東雲の事の方にぞ軍配が上がらむ者の、電子遊戲の事なれば


何れ世の惡は討たれ、邪は除かる。何時も望まぬ形にて


文明の發達に因つて從來書たらざる者も書の形にて賣らるる樣になりたり。例へば有名人の意向の筆記の類。斯うしたる者は書に非ず。中身を評さば「飲み屋にて隣の席に坐りたる親爺の世閒話を尋ねず唯聞く」程の事なれども今日多忙陰鬱の日日を送る人人の、物心の隙閒に嵌まる形にて供せらるれば江戸の紙價を高む。文學の士羨む勿れ、紙に墨の著きたる、今日何にぞ用いられぬ事あらむ乎。文學は人の眞實を描く。千年後にも猶「引ける」事を誇れ。

今後買はるべき或は書くべき本に就きて。予も(また )本の失はるるを惜しがる者也。良書の良のなんたるかを古來の見識に倣ふ者也。此處に一つの書在り。中中の書手に因る者らしく、所所文學として良き所在り、誤れる所また所所、下りの格調手堅し、稀には凡百に無き卓見も有り。評して五十五點、そこそこの文學作品と言ふに價す。此の作品捨つるには惜しと我再思ふ。然れども此は捨つ可き也。加點法にては此の良作は百點中五點の代物也。五十五點と言ふ見方もあれど、飜さば殘り四十五點分は讀者に徒らに負擔を懸け不滿を募らする無益なる漫文駄文と言ふ事なれば、何れ買手は市場に對する信用を置かざる樣に成り行き、行く行くは其の分野の書と有らば手にも取らぬ樣に成る也。何處から讀みても面白く、何處にて切りても學びの有る書こそ書くべし。加點法にて百點を目指すべし。以て賣場に就きての信用を勝ち取るべし。賣場とは小さくは著者名也。其して大きくなりては講談社學術文庫の如き企劃名、角川書店の如き書店名、スチームの如き市場名と也。極まりては書其の者也。人人が書と聞けば面白きを期して安んじて維を買ふ。此れ極み也

己が正義に拘らず、胸に手を當てて思はば我が事乍ら「何處に良き物が在る乎も判らず、讀み通しても大した値打も在るべからむ物をば何ぞ手に取り繙かむ歟」とあれば此れ事實也。


燕雀には大鵬の志は知り得ねど、今の世の有樣を思はば我等が彦火火出見尊を始め世界に何人も「此の人人相憎む世を一つにせむ」とて狭く小さき自國を打出でたる心境を或は察す


宿命とも言ふ可き物、運命とも言ふ可き物、逃れ得ぬ物に有らざらば人は其れを愛し得ず。自が手に由る物は皆玩具なれば賤しき者也。愛憎の對象にならず。己れを卷く長き物のみを受け容る。「然なる物世に在らじ、我を苦しむ惡魔は唯討てば良し、世は變へ得。得代へざる者無し」と當世皆思ふ樣に成り行きて、國も祖も生き方も、遂に人人何物をも愛さざり。變へ得る者、選び得る者、卽ち存在として格の下なる者なれば愛さざり。己れを巻く長き物を求めて次から次に切り裂き燃やす。親を試す赤兒も斯く程には非じ


「女を宛がへ」と言ふ(いひ )があるが、此れは從來親なり周りなりに對して

結婚の意思はあるのに

女は昔程貞淑でも非く貞操觀念も無い者も增え

其れでも女誑(すけこま )しの樣に女を喰ひ物にせず手も上げず

一家の大黒柱となるにはそれなりの稼ぎが求められる筈やから己れを鍛へるか無駄遣ひを控へてゐる

にも關らず長年の不況で金を稼げずそれらしい役職にも就けず、稼げぬ内は女に聲を掛けて將來に就いて根據の無い口約束をする樣な不實を働かず

詐僞も盜みも近所迷惑も強姦もせず

苦しくても親世閒の望む通り眞面目に生きてゐるのに、

自分達は「傳統的に子供を守る親」と「高度經濟成長期」と「子供のために何一つ私事を犠牲にせぬ自由主義」との日本史上空前絶後の三重の春を謳歌して

好き勝手に生きた果てに好景氣の財力や未だ傳統を殘してゐた親の世話焼きやで結婚した癖に

自分達が忍んで則つた事も無い「傳統に則」して此の俺を「いい歳して結婚もしてをらぬ駄目な男」として腐すの乎

其處迄言ふなら、其處迄言ふなら

なむ女を宛がへ

……と大意斯う言ふ論であつた筈であるが何時の閒にか何乎に掏り代はつてゐるらしく、今言はれて居る「女を宛へ」が何の論か善う分からぬ喃。

此れの本質は「宛がへ」に非ず「ならば女を宛がへ」也


「商賣を知らぬ官僚は」云々と言ふ話をよく聞けど、官僚の成果の量が數値化し比較される樣になりたる時、制度は崩壞せずや。人は先を讀む生き物なれば凡ゆる制度は滅ばむに


動畫の事。人人の見たき物を作らずして見たしとされたる物をぞ作りては何ぞ見放されざり。


「高等學校以上になぞ結婚して働いて研究して論文を何本も書く樣になつてから這入れ生意氣なる」


主に男への恨み辛みなど女向けの劣情を刺激するツヰツターの書籍發賣營業を見れば判る樣に、現今本は誰が書いた乎に依り買はるる商品也。然れば彼方此方で「不幸にして健氣なる女」の雨後の筍の如く出で來て實録本と稱する物を草するは必定と言へり。

文人と言ふ者は上田萬年松井𥳑治共著の大日本國語辭典にあるが如く、上田萬年著と存らねば賣れぬ故企劃が通らざるにて名義を貸したる迄の事なれば、實質松井氏の成果也と序文に於て白狀する阿呆共也。我は覺えず笑む。笑ましきは良き世也


「創作マナー」に據り痛き目に合はせられたる人が其の苦き思ひの癒せに、依り忠實且つ苛烈なる創作マナーの實踐者と成りて人人を責むる樣は宛らゾンビ映畫の如し


「日本語は論理的に非ず」と言ふ「善く聞く」(いひ )に對する「其れは貴方が日本語を論理的に使へてをらぬばかりにて」と言ふ答への一つとして「論理的な國語」は如何に。(また )、國語による算譜の書き方としても方針たり得る乎

同一人物や集團が × ←不成立

同一の人物や集團が × ←不成立

同一人物や集團やが × ←文脈次第

同一の人物や集團やが ○ ←誤解の餘地無


下地玉

こつてりとした支那蕎麥のつゆをば作りつつある時に、メリケン粉を濃う口醬油(おしたぢ)と和えて「下地玉」を作りて、其の玉をベシヤメルたれを作る要領にて出汁掛けて溶かし出汁掛けて溶かして後に全てを出汁の鍋に戾しつ。洋食を作りし經驗活きたり。此の下地玉は醬油に限らず風味を決むる多くの下地に應用し得らむ


青識氏はエンカレッジ・カルチャー=「買って応援」を、「たったひとつの」やり方と称揚するが、絶対にそうであってはならない。

なぜならその方法では大勢に好かれるものしか守れないからであり、その時点で「表現の自由」の意義の大半は喪失するからだ。https://t.co/ELBBu1XpHb

— HitoShinka -ヒトシンカ-@文筆業/『センサイクロペディア』編纂・『シンカ論』連載中 (@hitoshinka) December 10, 2021

靜謐や「せぬ」と言ふ表現を買ひ支ふる事は不可能と言ふ事乎。先日の日本の公務員數尠きの話に近く、値など附かず、皆が奬みて得を取らぬ事に依つて保たれてゐる物もあるから喃


三年

なるほどSDGs二〇二一年〇一月一四日 石炭火力発電は環境に良いの?メリット・デメリットと最近の動き
資源エネルギー廳二〇一八年〇四月〇六日 なぜ、日本は石炭火力発電の活用をつづけているのか?~2030年度のエネルギーミックスとCO2削減を達成するための取り組み

かな入力(竝びに親指シフト)に就ては、歴史的假名遣と言へば語弊になるが、完全な五十音圖を想定してをらぬ如何なる配列にも興味が湧かぬ。可能性はあるが。此れも文字コード同樣、技術革新と其の仕様の策定時期に誤れる政策が打ち出されてゐたために日本の未來が閉ざされた例である。軍の勝敗の如く、實に實に時と言ふ者は在る者也。閉ざされたる物を抉じ開けるには多大な勞力とそれ故の長大なる時が必要となる。然し斯樣な物事に心血を注ぐ者は少い。無數の人を呼び込みて其の手にて世を變へるのは商賣であり、商賣は世の趨勢を助長はしても抵抗はせぬ。夜は今だ長し

豫て「令和の天の下にて」なる物語に於いて水陸兩上機自動車の發達したる近未來と言ふ者を作りつつ在るも、四發廻轉翼個人及無人機の俄なる發達を見て兩上機は大型に過ぎ日用輕快を缺くと思へり。一度鑄潰し、控への考へとして、全き電子制御にての操縱部及荷臺部と本體とを分離して「コンテナ船」の如く積み替へ車、船、空船を滯り無く切換へ使ふ乘物にした方が良い乎。島嶼住民の役にも立つ。其の世界に於いては人人の私物は主に操縱部なりて乘物本體は專ら貸出にならむ

電視板靜電氣及壓感知式爻辭操作盤を活用したる複數機器の操作系統の共通化。操作補助としてホリパツドが世界に霸を唱ふる時代


今だ長し

未だ短からず


「文章題」は國語の能力次第と言ふが、一言「中身(水)は何程(なんぼ )ぢや」と言へぬ程言語による意思疏通の能力が教員免許保有者に無いの乎、二立三本と三立二本とを夫夫桶に注ぐが如き實演も含めて何の樣に委曲を盡くしても子供は會話不能であるの乎、予は「現場」を知らねば知らず。唯足らぬ子の爲に一手閒二手間掛くる事は良しとしても、竝の子に誤解を强ひる由は在らじ。誤解を强ひられたる子は物事を學ぶ事全般への嫌惡と大人への不信とを抱く。超算数の害の一つは低學年向に「嚴密を缺い」たる答へを教へるのに非ざりて誤解を强ひるからにあり、有名な例にては「湯川秀樹が數學を辭めたる理由」があり。「身近な大人(母)の態度が子供に影響を……」と言ふ者也。「これから其方に僞りを教ふ故必死になつて覺えよ」と言うて後年誤解を解く「コスト」は只にはあるまい。實に强い子供を育つる善い社會教育なる喃。

彼の物言ひに因れば、小學二年生に九九を教ふる事能はじ。然し、物事を理窟拔きに丸覺えし得る時期は小學校に這入る直前迄で、其れ以降其の能力は急速に落ちて行き代はりに知りたる物事を組み合せる論理思考能力が伸びて來る。故に理解するには交換法則の理解が必須の九九を叩き込むのは二年生でよく、後になれば成程頭の中に叩き込まれた素材の數で勝負する事になる。新たな事は覺え難い。中學生かそこらの高度な概念が理解し得る年頃に新しい概念として九九なり國語なり教へ樣としても、最早人の腦中に其れを丸覺えする能力は既に失せ、理解するための手掛かりも無い。「交換法則」なる「難しい」單語を持出して見せて「其れ教へるのは不可能」などと大仰に否定してみせる必要は無い。

あ、これについては日本語を読み違えました。すいません。その上で言うと。小2には「掛けられる数」と「掛ける数」という概念を使って掛け算を教えるので、2×3=3×2を教えたいなら「2Lのペットボトル3本」と「3Lのペットボトル2本」が等しいと説明する必要があり、それは無理だという話をしてる。

— 小山晃弘(狂) (@akihiro_koyama) December 21, 2021

葉も無かる冬木に實る雀の實


料理法を暗號にて書記して祕したると言ふ中世歐洲の宮廷庖丁の如

でも仕方ないよね。雇用を保証されそれなりの給料を貰い年功制、退職金しっかり貰った定年後雇用の人達が「標準化がー」と言ってて正しいけど、あんた達がもらってたもの保証されてたものを今ここの連中がもらってるか?って話なんだよな。

— 茶寅(ファイザー2回接種済) (@mamianachatora) December 30, 2021

假面ライダーにせよ宇宙コブラにせよ、先づ當時定番の芝居の演出にて物語が進み、あはやと言ふ所で超人が割込を掛ける構成となつてゐ


母は今、我が子を捨てて犬を愛づ。愛でたき物を、愛づるに苦無し


察しの惡き者の人生は何時も驚きに滿ちて居り、其の者が老いて若者におくる警告は有害無益の脅かしに過ぎず


横文字はくノ一


文章に於て「書き損じは好からねども破格好し掛詞好し、修辭維文章之意」とする者と、作譜言語の書き方の如く機械に讀ませて誤解の餘地無き者とを分けて、前者を竝書なみがき、後者を工書たくみがきと呼び分けむ歟

竝書には「平安時代の文は惡文」と言ふ者言ひに對して平安時代の文には文脈上誤解の餘地の無い主語などは省くと言ふ國語の中核に關はる物事を見出だす契機が内在し、

工書には「日本語は論理的ならず。論理の記述に向かず」と言ふ者言ひに對して其方の頭が論理に向かぬだけと言ふ定番の返しの具體の現たり得る


靈感として、生まれてから小學校に上がるまでの「見聞きした物を丸覺えする能力」とそれが衰へると共に伸びて來る「覺えたる事を組み合せて物事を吟味する論理思考能力」とが、「子供の頃は何でも夢中になつたけど三十も超えてからは漫畫やラノベなどの大した中身では非いと豫感豫想させる物には手を出せぬ樣になつた」と言ふままある言はれと結び附いてゐると考へてゐる。此の現象に就て昔は「色んな經驗をしてきたから未だ味ははざる物未だ作られざる物も既に半ば知つてゐる物として飽きゐるのであらう」と合理的な推測をしてきた。一分は當りたる。幼き頃に手を出さぬ物に後後手を出して暫し耽けりたる事もあれば。然し、胸に手を當てて考へて見ば少し違ふ。前者の方が實體に近いと直感してゐる。大半のもう飽きた「新しき」物には手も觸れぬ一方で、今まで觸れて来たる長短滿缺のある物物の短所缺點が埋められたる、理論上存在し得る究極の物への渇望は日に日に增すばかりである。幼き頃は量に餓ゑ、長じては質に飢ゑてゐるの乎。然の如き物此の世には無しと、少なくとも我が耳目には生涯入らぬと悟つた時、我は憑き物の落ちたるが如く滿たさるるの乎、或は此の世に對する執著を愛と共に失ふの乎


自由主義の自由とは惡を爲す自由なるも、その主義の普及下に於て人人、就中女は何が惡い事乎判斷する德目其の者を喪失せり。此は「何が惡乎を人人が知りたる世」と「惡を爲す自由の在る世」とが両立し得ぬ事の證左たれば自由主義、設計主義、左翼の理論の破綻を示す。傳統派よ自信を持つべし。其方等は正しい

古代から結婚制度に守られていた女性という性が、
結婚を伴わない自由恋愛するようになったために、
責任を一切取らずセックスだけして去っていく無責任遊び人男と性交渉するようになった。
当然、望まない妊娠という問題が発生する。
それを全て男性のせいにし、自分の罪は自覚すらしないのである。

— 弱者男性差別をなくそう (@tufozi2) December 23, 2021

左翼の言ふよりよい世の中と言ふ者は「阿漕」を語源通り實行すればぼろ儲けし得ると言ふ者にて持續性無し。愚かは賢、賢は愚か


今の所、少子化は不況による所得の問題に非ず、進步思想の蔓延に因る貞操觀念の崩潰以外に思ひ當たらず。若し錢金の問題にて有らば其れは政府が庶民にとつて多額の「結婚税」を取つて居る筈なれど結婚は只で得うし、税金面に於ても利點の他無い。服飾や遊興等逢ひ引きの費用や交際資格を手に入れる爲めの最低収入に犯罪氣質の持たぬ大人しい堅氣が若い娘に接觸する事の事實上の禁止に育兒費などを擧げる方も居らると思へど、其等は當に「貞操觀念の崩潰」に因る者に他ならず


MINDと言ひ、足場の程の組み上げの低い作譜(さくふPROGRAMMING)言語を大いに盛上げるにはその編集機を便利に改良する事にあり、良からしめ到つた編集機は新たな言語同然と成らう


電報 しびらのしらせ

エレクトリツクオーブン しびらかま

硫黄島からの電報(しびらのしらせ)


支那の若者が政治體制の議論をしてゐる時に(自由)民主主義の屬性として「坐して死を待つ」と言ふ事を擧げてゐるのを以前見た事がある。男の女々しきを禁じたり電子遊戲を禁じたり進學經歷作り競爭を禁じたり、支那はただ坐して死を待つつもりが無いだけであらう


昔讀みたる教科書に「災害への備へとて一萬石に就き五十石の備蓄」とあり、(また )聞くに「良好なる所にて籾米の日持ちは廿年」とありたり。五十石廿年分ならば最大備蓄は千石。


備忘殴書。互ひに理解などせずとも組織化し得る群れは大體家族位の者で、組織化された家族と言ふ者は古來からの優れた分別の持主が世俗の汚らしい物事を只嫌うて今後の人生に必要な經驗をせぬ儘燻ぶると言ふ事無しに「御前の信念と眞意は家が保證してゐるから安心して組織の方針として潛入せよ。潮時も合圖する」と孤立させずに良心が咎める樣な經驗をさせる事を得う爲る。家族が組織化されねば、親子閒でも子供の一擧手一投足に求められる者は親族の理解であり子供の全責任の下で爲ねばならぬ。そんな出來た子供は大抵親から理解されず家族から孤立してゐるもので。然う成ると出來のよい子は優れた人格により習得してゐる者の見方・分別により世俗の彼是を嫌がり、良心故に自身の成長に必要な經驗が得られぬ。整理して再た書く


失敗しても自ら悔む心無からば其の經驗教本を一度讀むと變はらじ。失體を叱らる責めらると思へば二度程讀むに同じ。自ら悔みては書かれたるに十倍する事をも推し測りて知る。本日多量の食材を食へぬ物にし泣く泣く自ら捨つ


人の道理も言葉も通用せぬ成らず者に對して、若し發言に銃を添へ得ば眞の意味に於て論理を理解する者が多數現る。論理の通用せぬ者の多くは理解する氣の無きが故の事にて腦に非ず人格に於て理解を拒む故。

昔、發言に命を懸けねばならぬ時代は粗暴野蠻には非ず。其の故を推し量らず野蠻と無禮( )むる今こそ野蠻と言ひ得


ゲームに於て「貴方は此のシリーズの經驗者なんやらう?」と言ふ言葉があつた時、「シリーズ」を言ひ表す言葉が見當たらぬ。英華字典を繙けばシリーズが「次第、次序、等次、秩次、錄等、行。等、種、類、班、象、敍」等がある。若し「此の種の經驗者、此の類の經驗者」と尋ねば同じ名を冠する一連の作品に非ず廣く同じ分野の遊戲の經驗者かを尋ねたる事に成らう。何と言ふべき乎。……思ふに「貴方は此の歷歷の經驗者なんやらう?」と尋ねば好からう。百年後の子子孫孫には(此の口語の語感其の者が喪失してゐむ爲め)何が好し乎は解るまいが好し、後は全き大和言葉を以て何と呼ばむ


透明の釦に算譜にて其の都度文字を表示、磁石にて鍵盤から各種抓み迄所有者が隨意に組合はせて操作系統を形作る自在鍵盤にせよ何にせよ、我が發想の根本も「現代假名遣と當用漢字を前提に基礎設計された」る物品や「歐米が元になつて」形作られて居る仕樣を突破したしてふ者に基いてゐる。境遇が發想を生みて來たり


神にせよ男の中の男にせよ、善の見本となる者を置かず、己を含め現生一同を未熟者や惡とせぬ宗教が何故に歷史上繁榮せざり來たる乎。對等や解放や平等や無やが人閒に然程に喜ばしき者ならばもうそつと此等の思想が繁榮し、動もせば有史以来主流の思想たる可くも歷史は然に非ず。

古代然り、現代然り、快樂主義は黑死病の如く廣まり、短期閒に黑死病の如く收まり。(時には盲滅法なる)禁欲主義が何時の世もそこそこの規模の集團や國を覆ふ廣汎なる人人の漠然とした模範たり得るのに比べて、自らが何者か問はれぬ思想は長くは續かず其の時時の特殊な個人の趣味に止まり。

現代は當に其の自らが何者か問はれぬ思想が黑死病の如く廣まりたる時代にて在れば其の秘訣も此の現代の状を見れば窺ひ知れむ。

現代は自らが何者乎問はれぬ事に人人皆懸命也。

簒奪者の不安とも言ふ可く人人落著き無し。誰の逆襲を恐れたる乎


「自分の事を(主に若い女に)全肯定してくれる樣が恥づかし氣も無く好意を以て評価さる」と言ふ風潮に就ては宜しからずと考へつつあり。商賣の話ならば如何なる物にても賣れる物は作らると言ふ話にて詰まりなれど、善し惡しの話ならば然も行かじ。成立得ぬ物が描かれて人人が其の諧謔なり奇妙なりを樂しむるは束の閒の事。何れ自分達と同じく其れを奇しく思はず面白がらざる者に對する怒りの方が勝ち、仕舞ひには此の世にあるべき物と思ひ込みて暴る。此の件に關しては其の時には努力も背伸びも無い人間的營爲を捨てた醜惡なる自分が何の罪も越度も無い存在として認められるべきと言ふ「邪宗」の信徒と成りたる可し。仕樣も無き事をする時には自嘲は缺かせず。仕樣も無き事は仕樣も無き儘樂しむが人と成りたる者と言ふ者。

善の無き世とは政治が全ての世と言へ、言はば「罪無からば卽ち(まつた )し」。人の世に非ず


寛ぎたる最中に「ゆつくり靈夢が靈視をにて故人の眞意を」云々てふ話が流れ來たれば我も「何たる惡辣」と熱くなりたる所、序て「(故人が)未だ女體化されざる丈增し」て云ふ文言も流れ來たりて我の中の末堂も冷めて仕舞ひたり。


需要が在れば卽ち作らる。人賣りも然し、阿片も然し、「マナー」も然し。自由とは保護選別されたる自由。


延期して 日延べして  通用門 くぐり五繩張參長脇差

強つての事


備忘  飜譯の種類 例 ハンガー 衣紋掛け


高度なる集權國家の「誰もが善き事すべき事と思へど誰からも始められず」「坐して死を待つ」仕草、民主主義國家が必然的に持つ「肩を組合うて離脱者無く崖に向ふ」現象、此の原因は當に選擧にて出だされる爲政者が盡く「國民の、一般意思の體現者」であり議會の人材に彩が無い事に因る。民主主義者は己の事を棚に上げ己が惡性を主に獨裁國家の特徴と罵りて今日に到るが、ヒトラーもボナパルトも一般意思の體現者故に破滅するまで止められずして獨裁であるから破滅した訣には非ず。支那は流石に歷史上何度も世界の覇権國として廣い帝國を築いた經驗がある丈在つて其の弊害を善く抑へてゐる。隣國の我國にとつて如何樣な存在と雖も大した者や。若し、國民平等を賣りにしてゐる代議制國家が此の幣を免れむと欲さば國會議員は籤引きで選ぶしかない。「一般意思の體現者」以外の意思を持つ人材を議會に召上げるのや。個人としては民主主義の存續に興味は無いが「丈の合はぬ洋服」を破り棄てても其れで立ちどころに眞新しい和服が手に入ると迄は考へてをらず、急激な變化其の者に慎重な態度を採る


議論の技法にも色々存るらしく一つには「定義」が在ると聞く。使へば、

古典派著者「近代以降に出版された本が論語一册より人を育てる事は遂に無かつた。昔とは比べものにならぬ程智識の增えた現代人は、村の外の事は殆ど知らず、學識と言へる物は子供の頃親の口眞似淆じりに習うた論語の斷片數句を覺えてゐるに過ぎぬ無知な古い父祖と比べて道德的に立派と言へる乎、卽ち學が有ると言へる乎。詰まる所、人類が作り上げたる九分九厘の本は、二百年の文化的營爲と讚へられて來たる全ての努力の正體は近代人の思ひ上がりと怠墮とに因る紙と時閒との無駄であつた。其れは何故乎(全二卷)」

と言ふ所乎。「德が備はる 卽 學が有る」「人を育つ 卽 書物の價値」と定義してゐ。


エスペラントと云へ平等社會と云へ政治上の正しきと云へ、抑も人は無に因つて齎される公平より乎は敵の一人が優勢である事に據る秩序を好む。或いは其の方が正氣を保つ。同じ土俵で長年爭ひ合ふ相手には無意識にでも自分と同じ何かを有つてゐる、尊重してゐると思ひ掛けてゐる。然樣な相手と競り合ふ事に人生の手應へを感じてゐる。其して場外の、異質な何かに支配される事によりて負けも怪我も無い待遇を得ても生甲斐と言ふ者が無い。英語の覇は認められても所謂「標準語」なる日本語ならざる地方エスペラントの存在は耐へ難ねる。我我にとつては聯綿と續く日本語の歷史を斷ち切る者であるし言葉の亂れの發生源でもある。いつその事本眞物の吾妻訛りが覇權を握つた方が良かつた。彼等は兄弟であるから。遡れば親が同じやから。我我と同じく祖先からの歷史を引き繼いでゐる存在が覇を稱へてゐると言ふ事で私に勇氣と對抗心を湧かしめて呉れたらうから。其の時にも田舎者に日本語の首座を奪はれて悔しい氣はしたらうが、其の悔しさは私が今此の時代に生きて居る事に張を與へ、正氣でゐさせてくれたらう。田舎と此方が見てゐる言葉は我を壞しても我が奉じてゐる掛け替への無い國語は壞しはせぬ。然し國語とは似て非なる所謂標準語と其の口語との普及は我を狂はせむ許りに暗澹たる心持にさせる。

先程勇氣と對抗心とと述べたが、其れがある心地こそが安堵の境地である。奇妙であるが實感である。爭ひの中に安心がある。弱氣になつた親が講釋垂れて手放し掛けた事業を引つ手繰る樣に引き繼いだ息子が苦勞の日日の中に穩やかな熱意を度々抱いて一人そつと笑む樣に、此れを生き甲斐があると言うても好え。此れもまた「道は近きに存り」と言ふ事なの乎


令和二年九月廿八日

秋風心地好し。涼しき故のみならず、幼少より年々吹き附けたるに同じ風なれば也。所歟、色歟、薰歟、有るとも言へず。何足らざらば此の風に異る歟。何時迄も此處に居たし

再來年邊りの法改正を境に、從來回りに何と嗤はれうと男女の婚前交渉以ての外との意見を換へなんだ予も、殘念ながら遂に其の主張を取り下げる事にならむ。法律の方が日本從來の家族の在り方と餘りにも懸け離れて仕舞ふ以上内心の倫理にのみ從ふしか無うなつた。固より我國は性には大らかで福田恆存の言ふ「此れが田舎なら猶更」と言ふ事も聞かぬでもない。自然と傳統とから推し定められたる法律は假令自分に不利な物でも不承不承、納得は得う爲る物が多い。其の時代毎に匙加減を變へながらも自然の相似形ではあり、他ならぬ我國の仕來り、御先祖樣も爲來つた流儀とも思へば頭も上がらぬ。然し此度は男女十八歳以上と來れば其れは肉體の現實から離れた男女平等てふ進歩主義思想觀念から出で來、一方では其の十八歳以上は新成年として婚姻に家の介入は一切受けぬと此れ再異國の人間觀家族觀より出で來。以前に性の放埒貞操の「解放」を説かれたら予は「然う言ふ事は他人と違うて自分の娘に言へ。其方等は賣女生娘が自分に股を開きやすい世に仕向けてゐるだけ」と云ふ心算でゐた乎、何處ぞの寄合で既に言うて仕舞うた乎爲てゐたが、最う此手は得う使ふまい。法上の婚と内心の婚とが大きく懸け離れたら婚前交渉また良しと人に言はねばならず、其の善し惡しは誰に證せる事の無い心の中の正當化一つになる。先づ此の予こそがや、此の予こそが。不便不便。其して、内心の婚などてふ頼りない朧氣な物一つでは子は爲せまい。無法者はいざ知らず、家族親族や秩序やをも重んぜむとする堅氣ばかりは子は爲せまい。

此の話を小耳に挟んだのも随分前ながら、今更去年書き始めた話は變へる事もあるまい。氣にするのも阿呆らしい

政治の話は一旦止さう。一つ凶事が存らば一事が万事、國が滅ぶ迄悪い方へ物事が轉がり續くと思ひ勝ちになるし、然う思ひ詰めればいよよ其處からの好轉を想起して自身の他者に對する支配慾に身を焦がし兼ねぬ。法律だけなら「所詮は政治」である。其れより、我々日本人は法や御上が變はる度に何も考へず一々己が心の方をこそ入替へて倫理も德目も更新し、未だ變へられぬ者を愚か者不埒者として詰めては己が優越を其の都度樂しんで來た者共である。逆算すれば其れ迄舊來の理由で他人を責め立てたるは何等己が信念から決斷した事ではなかつたと言ふ事になる。然したる理由も無く人を攻め立て嘲るのは屑と言ふ可し。男の中の男なら何うした乎。其れを目指してゐると口にする予は何うする乎。我々と同じ日本人であり乍ら、一本強靭な筋の通つた見上げる樣な大人は如何にして然う成つた乎。我々が實に芯の有る民族であるなら一時惡法と思へる代物を作つて仕舞うても何も恐れる事など無い。「確り考へたつもりであつたが錯誤故に過つた。また作り直せる」と構へられた。然し普通選擧代議制も近代法も我々が自身の歴史から必要を痛感して編み出した物とは違ふさかいに半永久的に我々には使ひ熟せは爲ぬ。周圍に流されて何と無く法律でも何でも作つて、都合が著かなんだら其の時變ふ可きは自身の倫理觀と言ふ事になる。

國民の根つこが斯うやから何時乎再風向きが變はつても、其れが偶々政治上に於て予に追風であつても頼り無い

令和二年九月卅日

學問が三流ならば政治も三流と爲れば先づ遲れたる學問から手を著くるに如くは無し。例へば我等は基督教文化圈と違ひ、母の腹の中に居る内から命と認め、年が明ければ腹の子も齡を重ね、大きくなるまで人の子として大切に扱ひ、長じて親が一人前に育つたと認めれば遂に人と成つたとする。故に成人と書き來歴と其の成果とを「ひととなり」と言ふ。特殊の事情が無い限り墮胎を認めぬのも腹の内に居る時から人の子であるからこそ。翻つて何時ぞや聞くに、基督教に於ては腹の内は命に非ず只の物體にして腹より出でて漸く享年を數え始める。其して腹から出た途端に、子をして母を「女よ」と呼ばしむる唯一神の元に於ける悍ましい程に強烈な平等觀に因り、未だ目も開かぬ内から今樣に言へば「不可侵の人格を持つた獨立した個人」となる。故に基督教と言へども古くから存るカトリックはいざ知らず、教會を介さず聖書を讀み天主と直に對話して基督教原理を追求するプロテスタントには堕胎常套でありながら「人の子」を飛ばして「岩木の類」から「人」になり、個人は平等に尊重されるとする者もあるとかや。基督教の理窟は聞き書きであるから其の内實は異る乎も知れず後程本格的に調べるとして此れ位に止めて、基本的人權とやらも萬民平等とやらも、何なら自由主義も民主主義も、資本主義も社會主義も、無政府主義團結主義も共產主義も、近代の凡ゆる主義は聖書から見出だされた基督教原理が法源である。我々は戦争に負けて年齡計算を換へた(法律は明治期に自ら變へたる故黑船に既に負けてゐたと言へるが)。即ち「人とは何乎」に就いて強制改宗をを喰らはされた訣である。其の状態で目下一々の法律を場當りにやれ「傳統に則してをらぬ」やの「倫理の崩潰を誘發する」やのと言うて嘗ても如何にもならぬ。

生き方に於ける人の定義てふ非常に重要な項目も戰に負けて換へられた事は事實である。事實ではあるが、ならば我等は元の生き方を如何程重視してゐたらう。堕胎の話に觸れたが我國に於いて、例へばカトリック教國の何處かで「女が希望した堕胎に教會が反對し却下された」と言ふ報道が流れたとしたら自分の回りの者は何う反応する乎。勿論我等日本人の多くは「宗教等と言ふ者を信仰してゐる遲れた野蠻な國の出來事」と嘲笑するに違ひ無い。誰に教わつた訣でも無くに。

令和二年十月朔日

軍にゐた頃は「海外の軍では新兵教育は善惡をきちんと教える處から始めねばならず、然んな物一々教えずとも良い倫理を保つてゐる日本人が不思議に思はれる」と聞いたけど、自由主義體制が程度を強めて行けば、良い倫理の祕訣を尋ねるのは吾國人の方にならう。其して其の時には西洋諸國にはあらう自由主義の毒を和らげる物は無い。吾國は破鍋に綴蓋と言ふ訣には行くまい。我々の倫理を形成する物は第一に家であり教會ではない。家を解體して個々人が政府と直に繫がつても猶徳目の存り處は粘り強く存り續ける、と言ふ事は無い。そやから他國は知らず、我國に於ては政府は法律と言ひ何と言ひ、どんどん融通無礙にしても構はぬ政教分離萬歳とは言へぬ。

我々は自由主義の自由の神髓は惡を爲す自由とは夢だにも思はず。現状でさへ「良き事を爲すための自由」と思はず「自由を良き物」と捉へてゐる。舊體制なり舊生活なりよりも猶良き物として與へられたからであり、己が心を試練に懸けて善惡如何なるを嘗る爲に、敢て心身を優しく包む庇護を脱ぎ捨てうと爲たからとは違ふ。故に我國の自由主義者は其の正當化に「國益が增してゐる」等の事實を選び集め示す事しか得う爲ぬ。我々は今も昔も「現世御利益」ばかりである

神樣相手と違ふ所は御利益が無かつた時にさへ、自分の方こそ畏まつて「神樣を恨むのは往かん」と言ふのと同じ樣に「主義を恨んでは往かん」とは成らぬ事である。高が政治主義。上手く往かぬ時は變へる手もあるが、そも我々は近代西洋の諸諸の主義を採つた理由も知らぬ有樣なのに都合が惡くなれば「河岸を變へ」て、其れでプラグマチズムとやらが上手く發揮されるの乎。「藝も無く拜外と排外とを繰返す」ばかりやらう

仄聞するに電子遊戲及び網通の時閒制限を政府乎自治體乎が決めた事に就て、滿十七歳の少年が「其れは家で決める事」とて訴へたと乎。咄嗟に予も贊意を覺ゆ。試みに思へば、飜りて如何なる主張であつたらば予は贊意を覺えずに反對したらう乎。思ひ著くに若し「子供に決めさせよ」であつたなら反對したらう。愚かな制限の向うを張つた愚かとして。先日書いた婚姻法云々と同樣、此の御時世旗色が惡くなるばかりの家族の裁量と言ふ者が神風吹いてもつと認められ給はれかし。

支那は明代に北東亞細亞に於ける實質的貨幣鋳造權を持ちたる事に氣附き、海禁を行ふや立ちどころに周辺諸國は國内の通商產業の滯りたるを虞れ、態々朝貢する爲に自國に於いて革命を行ひ以て支那に平伏す。我國も亦例外に非ずして彼の元寇をも跳ね返したる荒武者達も武に依らざる通商の生殺與奪の權を握られて降伏。源義滿の日本國王に封せらるる恥辱に甘んじ、銅貨を買はむが爲に銅と共に恥を賣る憂目を見たり。然れば最近此れの小さき小さき模式の如き事が幽人藝者界隈に起ると聞く


令和二年十二月八日

奇しくも文字列の事を我が国に於ては「あや」と云ひ英語に於ては「ストリング」と云


令和二年十月廿四日

何處で見た乎、戰前の物に既に「バルチツク艦隊は世界最強の云々」と言ふ言ひ草が見らる。司馬遼太郎以前に通俗の講談として今日の落語講談史觀は浸み廣がりつつあつた樣や。

似た樣な事ととして昭和十年岩波文庫の孫子の註釋にも「拙速」に關する當時通俗の誤解に就いての指摘がある。其の内容は數年前網の上の彼方此方で作られた「孫子の理論を商賣に活かす云々の私塾」で見られた牽強附會の謬釋と同じである。むなし

或いは何時の世も此種の「講談」は受けるのや。今流行の「講談」は「解説動畫」乎。「詐欺師が無くならぬのは手口が巧妙であるからや非うて人々が騙されたいから騙されるから」と言ふのは實と思ふ


平成卅年六月六日

「斯ンな事をすれば日本人全體の評價が外國で下るやらうが、此の日本人の面汚しめ!」に「此の外國人犯罪の一件や二件で其の國全體を憎惡するなンてまともな人間のする事ではない。此の日本人の面汚しめ!」を加へると、「外國人は皆まともな人間ではない恥さらし共」となる


此の今の世の相互不信と悖徳沒義道ぶりを見れば、平安時代中頃よりの武士の勃興から國分かれゆく流れは、やはり權限と正統性ばかり摑み離さぬ儘精神が失せてゆく中央集権體制側と、然樣なる醜惡なる朝廷の介入を拒み、小なる内輪の論理に基いて暮らして以て瑞々しい精神を恢復させて行く犯罪者とにて起り行きたる者やとぞ思ふ。予は朝廷の筋目を重んずるも、筋目のある者に精神の存れかしと望む者也。賤しき者に心の貴賤にて劣るは恥辱とぞ思へば。


曩に述べたる、春畫春本の規制の話は大人ともあらう者が犯罪への影響など事實や數字を大上段に掲げて臨むべきに非ずと言ふ話と根は同じう成る喃。傳統や美學が優るべき

優生学の問題、『優生学が科学的に正しくない』場合よりも『優生学が科学的に正しい』場合の方が無茶苦茶厄介だし、人間の解析が進んでいくと、たぶんある程度優生学の正しさって保証されちゃうような気がするのだよな。科学は我々のイデオロギーや価値観に配慮してくれないので(進化論もそうでした)

— あきひろ (@Werth) February 4, 2022

武漢肺炎の各勢力は互ひを指さして「戰前と同じ事を繰返すの乎」と呆れて見す。一昨年から斯うにて存り。事實よりも相手を脅かして舞臺より降さば此の世は丸く収まると。此れが戰後の反省の成果にてぞ存りなむ


正常化バイアスと言ふ言葉が目にして解り難く耳にしていよいよ頭に入り難し。言做しと言へ、思做しと言へ、例へば「あの人々は常の事と思ひ做してゐる」が然程に言ひ辛からむ乎?


皿も裳も淨めて置くは使ふ爲我身淨めて何に使へば


SNSは古語に於ける「ネットとリアル」の「リアル」の側なのでツイッター上に於いては議論は起こり得ず、專ら暴力が物を言ふ。此處で行はれる公論は、強敵とは「ニアミス」さへ注意して避け、解りやすい馬鹿をのみ派手に非難して自陣營の賛同者を增やすことを以て本命の敵をして少數派と思はしむる物である。附和雷同の爲めの威嚇と言ふ所乎。人々てふは皆何が眞實乎などよりも、何方に附かば恰好良き乎を氣にする故ならむ云々

此れを善ならざる「人の世に塗れて生く」ると腹を括りたる者と得言ふ乎。行ひに善惡無し。惱ましき者也


「人目に附く路地裏」での汚い言葉遣ひが肅清の對稱となりたる風潮を見るに、(進步主義で)淸い所を無くして一面汚くした後は「一面を一つの作法で但し書き無く均して仕舞ふ」事に抵抗の無い子供同士の殺し合ひになる。小うるさい傳統と大人とが守つてゐたのは淸い所だけでなく其處であつたと言ふ事


日本がロシアと問題となるのは、ロシア人個々の人の問題ではなく、ロシアが集団として、国家としての行動を取った時。政治的でもないロシア人に無駄に敵意を燃やしたりするのはやめましょう。だけど、ロシアの行動を許す理由はない。それとこれとは別。わきまえていきましょう。

— buvery (@buvery) February 25, 2022

氣安い言葉なれば本氣でもあるまい。人閒こそが復讐をする。容易く割り切れる者では非い。其れを忍さしめて「爲べからざる事」として矛を収めさせる呼掛は「やめませう」「わきまへていきませう」などと、斯くの如くふやけた言葉遣ひの筈が非い。

侵略されている国の大統領が、
『悪いのはプーチンや軍だ。一般的なロシア人ではない』
と言っているのだから、
日本国内にいらっしゃるロシア人の方々に攻撃するような行為は厳に慎むべきだと思います。

とてもつらい立場におられるはずです。 https://t.co/meUAfGDVzT

— 知念実希人 小説家・医師 (@MIKITO_777) March 3, 2022

然らば「侵掠されてゐる國の大統領」が若しロシア人やロシアに纏はる者を見つけ次第攻めてくれと言ひ出したら攻めるの乎。愚かなり。ゼレンスキー大統領は政治家として戰略として「ロシアは一枚岩に非ず」と内外に訴へてゐると見做すのが相手を重んずると言ふ事である。こんな初心でも小説家商賣が成立つとは


齣割がテコンダー朴なる故なれば、當初さなる當て擦り乎と思ひしが

恒例の負の性欲ポルノなんだけど、結局「リアル女に興味無いガチヲタ」とかは其れはそれで「キモい氏ねゴミ」とか言う訳よね(苦笑)『私に利益を与えない男はゴミだから氏ね』というジョセイ様の御都合とか知らんがな… https://t.co/a6RRwnCq8M

— MAXIMAM357@RIGHT OF MGTOW (@Maximam357A2) March 2, 2022

曰く附きの者を「持ち上げる」と言ふ行ひは今日に於ては人々より器の大きなる男と褒めらるるが故に始め易く、持ち上げられたる人物がやはり成らず者の惡黨に變はり無かりても「先づ一度は懷を擴げたる優しき男」として追ひ讚めらるる故損無き賭なればいよよ盛ん也

言葉は思考其の者也。「コイツを持ち上げてた奴らは反省しろ」なる言葉が人々の善く口眞似する所とならば愛でたく初めて人々は其の思考を獲得すべし。言葉言葉言葉

久々にTwitterに来たらククネキがTLに出てきたんだが男叩き&マウントで炎上バズ狙いする量産型婚活ビジネス垢になってんじゃねーか
コイツを持ち上げてた奴らは反省しろ pic.twitter.com/ooRULNIqj5

— アラ父さん (@arato_san) February 28, 2022
令和元年五月朔日

人は口眞似や筆法から「思考回路」其の物を獲得する。故に何乎を見聞きしたる時「何某ならば斯う言うたらう」「春秋の筆法を以てせば」などと得う言ふ可く、古今の優れた批評家や古典籍、名文に親しみて以て己れの物とする事が望ましい


論理的なる國語と言ふ者を求むるに此れは如何に。偶然なる乎論理的に國語を使へてをらず乎。如何に評すべき

しやぼんだまとんだ やねまでとんだ やねまでとんで こはれてきえた

「屋根までとんだ」を「屋根まで到つた」と變へれば先づよかれども

#小さいころ勘違いしてたこと選手権
童謡「しゃぼんだま」 pic.twitter.com/YvaV8DKKNO

— メソ@PIYO PIYO鶏カー💉💉 (@jackal_casull) March 2, 2022

我我は遠く離れた露に就いての事さへも太宰治の言ふ樣「一種の、あほらしい感じ」を燒き直す。

 「天皇の惡口を言ふものが激增して來た。しかし、さうなつて見ると私は、これまでどんなに深く天皇を愛して來たのかを知つた。私は、保守派を友人たちに宣言した。」

畏れ多くも此れの 天皇をプーチン大統領に變へても今日其の儘通用す。言はずもがな遠い異國の一大統領に過ぎぬプーチンと我等が御門とでは比較にならず、唯其の形を喩ふるのみ。思ひ出されたし、皆も今の今迄ウクライナの大統領ゼレンスキーの是の字も知らざりたるべき事を


民主主義下に於ては確かに「死にたくないのに殺される」が、自由主義下に於ては「死んだからには死にたかつた」となると何度も何度も述べて居る


露宇戰爭に勝てざりて辺境に引籠る羽目に陥りたる露西亞が世の趨勢から放置される事により却つて滅亡を免れ、以て數十年後數百年後「タリバン」やらと共に世界の主流たり得る事もありなむ。禍福は糾へる繩の如し


人生は衣の袖の口の數 餘りて過ち足らざりて行かず


眞の友邦たるウクライナが何と言ふとも我國はかつて同盟國ドイツからのユダヤ人迫害要請を斷つた國なのでな


貞操觀念の崩潰と其樣なる時代に蔓延る者の營爲を「順應」「適者生存」と言ふ言葉にて言ひ表し得ると思はば此れ大間違ひ也。彼等何故然なる言葉にて表はさむと欲する乎は現代は修身も戒律も原罪も地を拂うたる世なるがため「罪無し」卽ち「善き市民」にて、此の「善き」なる言葉をば己に當嵌めんが爲めと思へど扠措き、自が行ひを善惡に觸らぬ「變化」と分類して言ふ。ならば隣國を攻め、男を皆殺しにし、序でに其の處斷の前に妻娘を目の前にて犯して見せ、以て或る種は言葉通り絶滅し其の地の民族は入れ替はる。此れは「人類の最も善くある民族の移動」なれば、唯の「移り變はり」卽ち善惡には及ばぬ變化と言ひ得。卽ち「變化」の最中に善惡あり、「變化」の最中に鬭爭あり、「變化」の最中に生きたる人あり。「變化」を持ち出だして己が善或は無罪を證したりと言ふ者は卽ち惡人也。否、或人曰く「惡事は反道德なれど道德の内、惡にも增して悍ましきは善惡を求めぬ没道德也」と。惡人にも劣る沒道德者也

一切は分子の振動也。一切は原子の座標の移動也


「耳を澄ますと色んな聲が聞こえてくるんです。彼がよかつたね此れがよかつたね、て。でもどうして景色を喜ぶ聲が聞こえないんですか?繪といふ物や」



率直に言へば、斯かる時代なれば私は極惡な女誑ましや阿婆擦れを同じ人閒に非ずと思ひ做す事に據つて辛うじて「人閒に對する最後の温かい感情」が消えぬ樣にしてゐる。其れが仁を失ふ道であり、人を愛すと言ふに矛盾する心の働きと知りつつも。今日もまた私の「ネイション(我等)」は狭くなりつつある。

私を今猶人たらしむ可く、人の道に悖らざらしむ可く支へてゐる者は祖先もまた辛き事事に耐えたらうと言ふ偲びと、御天道樣に得う顏向けする樣にと言ふ忍びと、自ら美を好み醜を蔑む氣位程しか無い。此等が無くては人など疾うの昔に辭めてゐたらう。人を喰ふなど容易い事、心の箍の有り無しに全てが懸かつてゐる。


「ひとり身の者に罰をあたへて結婚と産兒を推奨」する方法にも成功法はあると思ふ。例へば「未婚者は勞働禁止」とかな。何故かと言ふとそこまでひどく罰せば流石に家族なり親交のある者がひとり身の者の爲に重すぎた腰を上げるから。逆に輕い罰は例へば驛と驛とを結ばん長さの線路で、費用が掛かる上に無駄


燻す爲に干して置いた豚のバラ肉三本が夜中に鼬か猫に獲られて無うなつてゐた


物の例へではあるが、私は資料としてただひたすら事實を餘す所無く蒐集記錄保存すると言ふ主義には反對で、其れは「此の足下の石ころ一つに纏はる事實を全て書き留めるなら宇宙と同じだけの分量になる」と考へてゐるから。物事が失はれる惜しさは私にもあるが、記錄される時既に知性があるべき


幼児が怪物を怖る訣は「此の世何處にぞ居らむ」と思ふ故なると思ひ出だしつ


祖先の原戸籍をとりよせたりすると、運好く保存されてゐた原戸籍の原戸籍から祖先の死産夭折した兄弟の事と名が判つたりする。其の時何故か私は見れて良かつたと言ふ嬉しみを覺えますのえ


電子書籍に於ても「認定中古車」の如き扱ひにすれば古本と著者への利益を兩立し得る鴨。賣先賣場を一元化した上で賣買には茶車への一定額の金の送りがあらば。書籍一册毎に識別名を附けて。買ひたる本は賣るには一定期間置く方が良い乎


帝國語學上重要

ミームの戦争:
🇷🇺が占領地でロシア語教育を押し付けたり、教科書や学習指導要領で🇺🇦の歴史を消去しようとしたりしていますね。このような動きの文化的背景をよく説明する論考スレッドをご紹介。著者はKamil Galeev氏。脅威の110連ツイ。要約3つ投下してから本文投稿します。https://t.co/fe4Csf722X

— 仮蔵 (@karizo2022) April 25, 2022

我國も己を支配する資格として血筋、人德、力、と來て最後に法があるな。より適法や時流思潮に適應的やであるからと言うて屑や小者に從はねばならぬのは世を壞したくなる程の苦痛がある。德も力も無い品性下劣な屑相手に此方からの意思として其方が正しいと言はされる位なら從はずに殺される方が魂までは辱められずに濟んで善えと言ふ心地は少なからずある。

力こそ正義、ロシア人が従う正義は基本的にそれだけだ。ソ連時代から繰り返し繰り返し独裁者に支配されるのも、結局、力で支配されるのが本当に好きなんだよ

力以外で支配されるのが凄く苦痛、力以外でなんとかしようとする人間は道徳的に間違っていると感じる、そういう価値観なんだ

— 砂鉄 (@satetu4401) April 19, 2022

見當違ひの問題提起と解決とをしてみせる作品は直ぐ役に立たぬ樣になるどころか作成時點で既に古く人の役に立たぬ。其れよりかは登場人物其の者に善惡の深い魅力があり古びぬ價値がある方が良い。故に漫畫でも大人に成れば時代劇の劇畫こそか面白く思へてくる。人や世の中に胡麻菓子が無く、學問に通じてゐるからや。子供が讀む麗しい繪柄の漫畫には胡麻菓しがあり、知つたかぶりが好んで讀む社會の裏通りを氣味惡く描いて讀者を脅かす漫畫には學問が無い。どちらも退屈といふ點では同じである。


藥と言はず蟲と言はず、皆思想の運び屋

政治家さへ何所乎から降りてきた數値目標の達成と言ふ手元の業績ばかり追うて其の働きの果てたる國の行く末に思ひ煩ふ事が無いのなら最早我國日本を治めてゐる者など居らぬと言ふ事やな。 神武天皇も清盛も秀吉も治めてゐた。我々日本人は何所から間違へて此れから何うすれば良えのやらう喃


惡人も僞惡家振らば善に見え


我等は先祖を祭る民也。故に自他を叱咤激勵して「勇敢貞操倔强」を唱ふるに「先祖を思へ、恥を知れ」と言ふ。我も言ふ。然れども泰西はデウスが命じたれば祖先の品行が如何にあれども自身の言訣にならざる所存り。我等泰西に及ばず。故に究極の所「大和心は折れず曲がらず」とは己が心の最も深き所を震はさざる輕き言葉なるを悔しくも認めざるを得ず。皆此れを悟らず。日本人は言葉を最も輕うする人共也。松原正の説く所正。然れどもならばとて「勇敢貞操倔强」に於て日本人は毛唐に劣後したりと言はれて其れに反する我が心の炎いよいよ盛んなる此の根源は何乎。忽ち消え失せる激情の火乎。然に非ず。根據無きが故に燃え盛る情の火が數十年續く筈も非じ。松原正の文を讀て猶衰ふる事無。此の情は眞の情也。頼りになる者也。此の根源は何乎。我は言葉を今は知らず

己が所業は祖先の毀譽褒貶になるべし。外より祖先を辱められて怒るも再た源を同じくす


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